国谷裕子さん 「意識低い系」だった20代の頃
「こんばんは、クローズアップ現代です」。1993年の放送開始からこの3月まで、NHK『クローズアップ現代』のキャスターを務めてきた国谷裕子さん。毎週月曜から木曜の夜の生放送に23年間、出演し続けた。社会、経済、政治……時代に対する新たな問題提起を伝える国谷さんの熱のこもった言葉は、見る者の姿勢を正す力強さに満ちていた。
NHKで長く仕事をしてきたが、一貫してフリーランス。今でこそキャスターとして揺るぎない評価を得ているが、それを獲得するまでには、長い「キャリアの迷子」の時代があった。
「華々しいキャリアの女性に憧れたことも、目指したこともなく、ずっと"ご縁のあった場所"でふわふわと仕事をしていたんです」。20代の頃は、今の言葉でいう「意識高い系」では全くなかったという。
「モノを売る仕事」が肌に合わず、1年で退職
父親の転勤に伴い、高校時代までを米国、香港、日本で過ごした、いわゆる帰国子女。米国の大学を卒業後、帰国して京都の実家へ。週3回ほど英会話学校の講師をしながら久々に触れる日本文化の刺激を満喫していたが、次第にそんな生活が物足りなくなり、就職を決意する。
当時、関西で帰国子女が入社試験を受けられる会社はほとんどなく、「唯一面接してくれた」外資系生活用品メーカーに就職。しかし、1年たらずで辞めてしまう。
「今思えば、すごくチャレンジングな仕事をさせてもらっていました。マーケティングのアシスタントマネジャーとしていきなり責任を持たされて、贈答用の化粧石鹸を商品化していくのです。製造現場へ行ったり、広告を打ったり、さまざまな仕事をさせてもらうなかで、どこかに"たいして経験もないのにこんなことを言って、自分は何様なのか"という思いがありました。しかも当時の私は、商品を一つでも多く売るという仕事に意義を感じることができず……。それで、もったいないことに、あっさり辞めてしまったのです」
退社後は、ひとりでバックパックを背負って80日間の世界旅行へ。自由で気ままで世界が広がる――そんな旅行が大いに刺激になったのかと思いきや、「結局、ひとり旅は嫌いだなということが分かって帰って来ました。だってひとりで大きな荷物を抱えて、頼れる人もいなくて、大変じゃないですか」(笑)。結局、"自分探しの旅"にはならなかった。
仕事も続かない、やりたいことも見つからない――そんな国谷さんの運命を変えたのは、世界旅行から帰国後のある日、実家にかかってきた1本の電話だった。
「幼い頃、家族で香港に住んでいたときにNHKの特派員の方が近所に住んでいて、その方からの電話でした。『NHKで英語のニュースを読む人を探しているんですが、確かお宅には、英語の話せるお嬢さんがいましたよね』と。当時NHKは、夜7時のニュースの2カ国語放送を始めるために、英語ニュースの読み手や、原稿をすばやく英訳できる人材を探していたんです」
"来るもの拒まず"という意識で、国谷さんは姉と一緒に東京へ試験を受けに行き、2人とも合格。東京で姉と暮らしながら、英語ニュースの仕事をする生活が始まった。
「通訳者には向いていない」と実感
得意な英語を生かせる仕事は刺激的ではあったが、ここでも「自分の不得手」にぶつかる。
「英語のニュースを読むアナウンス技術については評価されたのですが、"日本語のニュースを英訳する"という仕事がぜんぜんダメでした。帰国子女だったので、当時は日本のことがあまりよく分からない。日本のことをよく分かっていない人が、短い時間で日本語を英語に訳すというのは非常に難しいんです。これではいけないと思って、仕事の傍ら同時通訳の学校に入りました。同時通訳者になりたかったわけではなく、日本語の勉強をするにはいい方法だと思ったのです」
しかし1年半ほど通って、「自分は同時通訳者には向いていない」と痛感した。
「通訳が上手な人は、言われた言葉をどんどん英語に言い換えていくことができるんです。でも私は、言われたことの意味を深く考えてしまうタイプ。『さっきの話と矛盾しているのでは?』とか……。右から左に流せなくて、次の言葉が聞こえなくなってしまう。どうしても内容にこだわってしまう自分がいて、内容がよく分からないことはうまく訳せない。できないことが、すごく苦しかったです」
英語ニュースの仕事を通じて、「日本のことをよく知らない外国人に向けて日本のことを伝えるという経験は、その後のキャスターの仕事で、どんなテーマでも分かりやすく伝えるという訓練になったと思います」。
また、日本へ取材に来る外国人ジャーナリストの通訳をするなかで、取材先候補のリサーチや撮影場所探し(いわゆるロケハン)の仕事を引き受けることもあった。「彼らの取材やインタビューの手法、興味や関心の持ち方、記事のまとめ方などは非常に参考になり、結果として今の仕事に生きています」
(日経ウーマン 藤川明日香)
[nikkei WOMAN Online 2016年4月18日付記事を再構成]
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