箱根の寄せ木細工・からくり箱、魅力底なし
亀井明夫
秘密箱は神奈川県箱根の伝統的寄せ木細工で、温泉の土産物でも有名だ。木片を正しい順番にスライドさせていくと箱が開き、中の空間が現れる仕組み。私はその秘密箱を原型に独自の「からくり箱」を考案し、30年ほど作ってきた。
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角砂糖かき交ぜて開く
一見すると箱に見えないものが多いのが、特徴のひとつだ。卵形、コーヒーカップやラジオの形をした私の作品を見て、木工のインテリアと思われる方もいる。だがすべてに仕掛けがある。
例えば、代表作と自負するコーヒーカップのポイントは、添えられた角砂糖だ。コーヒーの中に角砂糖を入れ、スプーンでかき交ぜる。受け皿を持ってカップをひねると――。角砂糖とカップの両方に磁石が仕込んであり、互いに引き合う性質を利用した仕掛けだ。
こうした物理の発想を取り入れているのが、秘密箱とは違うからくり箱のもうひとつの特徴だ。他には、遠心力を使ってぶんぶん振り回すと開くものや空気圧を応用したものもある。押すのか、振るのか、回すのか、開け方そのものを発見するのが醍醐味といえる。
40年以上前、私は京都大学工学部4年生で金属加工を専攻していた。学生運動が活発な時期で、このまま社会のレールに乗ってよいのか、将来を考える日々を送っていた。手で何かを作る仕事をと考えていたが、具体的にやりたいものは見つからなかった。
そんなある日、雑誌の組み木細工の特集に目がくぎ付けになった。組み木細工とは、棒状の木を複雑に組み合わせた立体的なパズル。「この構造は一体どうなっているんだろう」。もともとパズル好きだったこともあり、一気にのめり込んだ。
独学で組み木細工を創作し、雑誌に載っていた神奈川県小田原市の組み木工房を訪ねた。そのまま大学は休学し、工房に入門。進路を外れる不安は長くあったが、作業中に誤って指を切断したのを機にかえってふんぎりがついた。心配した教授のはからいで、復学の話もあったが断った。「なくしたものはここでしか取り返せない」。そんな気持ちになった。
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会話や出会いヒントに
組み木職人になって9年ほどたった頃、違う材料で何か作りたくなった。組み木で使うのは棒材だけだ。作品の形に限りがある。板材を使えば箱ができる。今まで誰も作ったことがないパズルのような箱が作れないか。そう考え、今度は秘密箱の職人に弟子入りした。
しかし、後継者も減っている状況で、職人に私を雇う余裕はない。仕方なく家賃を払い、工場を間借りする形で居候した。ときどき仕事を盗み見たり、教えてもらったりしながら、次第にオリジナルのからくり箱を作るようになった。
15年ほど前には「からくり創作研究会」を発足させた。組み木や秘密箱の職人は減少の一途で、私が小田原に来た頃に比べると、3分の2程度になってしまった。外国では類似品をもっと安く作れる。昔のように、同じものを淡々と作るだけでは生き残るのは難しい。そんな危機感からだった。
これまでの職人の常識では、個人のアイデアや技術は貴重な財産で、誰にも教えず黙っているもの。それに対し、研究会は皆で持ち寄る場にした。1人で考えていると行き詰まり、せっかくのいい案も実現しないことがある。
私自身、これまで200種類以上のからくり箱を作ってきたが、アイデアが浮かぶのは、人と話したり、実際に触っている人に出会ったときだ。展示会を訪れた人が、押したり引いたり試行錯誤している姿を見ると、その裏をかいてやろうと関西人の血が騒ぎ出す。
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英語版サイトで海外へ
発想も技もみんなで考え共有することで、地域の産業が活性化すればいい。現在、研究会には20代から80代まで10人ほどが参加している。小田原や箱根には昔ながらの木象嵌(ぞうがん)があり、木地職人がたくさんいる。私のアイデアが最終的に形にできるのも彼らのおかげだ。
と同時に、現代の職人は、アーティストのように名前を出し、自分の作品にファンをつけることが必要だ、と私は考えている。からくり箱は地元のお土産物店に卸しているほか、定期的に展示会を開き販売している。海外のパズル愛好家の人気も高く、英語版のホームページも作った。
かつての私のように若い人が「自分もやりたい」と思ったとき、受け入れられる地域でありたい。子どもたちを対象に、からくり箱に触れられるイベントを開くと、子どもたちは本当に楽しそうな顔をする。これからも遊ぶ人との知恵比べを続けていきたい。
(かめい・あきお=からくり箱職人)
[日本経済新聞朝刊2016年4月15日付]
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