長野・佐久、伝統と革新の鯉料理
海の魚より濃いうまみ
長野県佐久地方で江戸時代から続く伝統的な鯉(こい)料理。輪切りにした鯉を醤油(しょうゆ)、砂糖、みりんで煮込んだうま煮や味噌仕立ての鯉こくが有名だ。鯉は泥臭いとか小骨が多く食べにくいという印象があるが、現地を訪れると先入観が見事に覆った。
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起源は室町時代に遡り、武田信玄も接待したという佐久ホテル(佐久市)。ロビーには歌人の若山牧水が1922年に残した歌が残る。「…信濃なる鯉のうちにも佐久の鯉 先(ま)ず喰(く)いてみよと強いられにけり なるほどうまきこの鯉佐久の鯉…」
19代当主の篠澤明剛社長(51)が古文書を見せてくれた。1648年に小諸藩主に献上したのが鯉料理の最古の記録で、刺し身や吸い物として出したと記されている。板場に貼っていたのか、器や盛り方まで記した文書が数多く残る。
鯉料理には歴史が薫る。飴(あめ)色に輝くうま煮のタレは260年継ぎ足してきた濃厚なもの。骨切りし花のように盛りつけたあらいは甘みがある。臭みがない佐久鯉は酢味噌でなくわさび醤油が定番。「夏はあらい、冬は脂が乗った寒鯉の鯉こく、春は子持ちなど四季折々で楽しめる」と篠澤社長は語る。
割烹(かっぽう)花月ではフルコースを頼んだ。中村邦博社長(59)が腕を振るう。農家から仕入れた鯉は最低2~3日はエサ止めをして臭みを抜く。あらいは鮮度が命で、特に身がしまったものを選ぶ。注文があってから生きた鯉に包丁を入れ小骨を取り除く。新鮮な海の幸で知られる富山県・氷見からの客は「川魚とは思えない」と驚いていたという。うろこ一枚一枚を揚げたうろこせんべいはおつまみにぴったりだ。
「そこから食べてはいけません」。背側の膨らんだ部分からうま煮に箸をつけようとすると、若女将の中村八惠子さんから待ったがかかった。小骨が多い背側から食べると途中で面倒になる人がいるので、内臓から食べるのがよいという。ねっとりとろけ、ご飯に合う。それから脂が乗って骨が少ない腹側。肉がしまった背側は「少しずつ食べるのがコツ」という。
材料の味噌も酒も何種類も試して最適のものを選んだ鯉こく、塩焼きや揚げ物などどれも違った風味を楽しめて飽きがこない。「基本は地産地消。忘れられない味を目指している」と、中村社長は自信を示す。
花月に近い魚甲商店は1918年から鯉を販売する老舗。甘露煮の元祖で、今も銅の鍋で鯉を煮る。かつては生きたまま丸ごと買って調理する家庭が多かったが、最近は鯉こく用の輪切りやあらいにしたものを買っていく。
「それでも佐久の家庭には鯉料理の文化が残っている。今も産後に乳が出るようにと買っていく人は多い」と、市川章人社長(66)は話す。
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佐久養殖漁業協同組合を訪ねると、体長40センチ、重さ1.4キロ級の3~4歳の鯉を出荷用いけすに運んでいた。ここの特徴は流水養殖。千曲川の水を引き込み、夏場は毎秒3トンの水が養殖場を流れる。霞ケ浦などの養殖地に比べて冬場に水温が低くなるので生育の効率は悪いが、「流水養殖なので泥臭さがなく、低温で高たんぱくのエサを食べるので脂の乗りもいい」と、飯田好輝代表理事(64)。
需要減で佐久鯉の生産量はじりじり落ちているが、2008年には「地域団体商標」に登録し、最近は東京のフランス料理店や横浜中華街でも新しい食材として注目されている。天皇、皇后両陛下が軽井沢に夏の静養に訪れた際は必ず組合に鯉の注文があるという。
佐久市の田園地帯にある農家レストランの草分け「職人館」はおまかせ料理などに佐久鯉を使う。まずは鯉のリゾット。鯉のダシを使いコクがある。上に載っているのは三枚におろして骨切りし、葛粉をまぶして揚げた鯉。上品だが野趣もある。鯉のダシを使ったクリームスープは高麗人参も入る薬膳スープ。3点目はそば粉をまぶして揚げた鯉にフキノトウが添えられ、山菜のさっぱりしたソースでいただく。
「佐久鯉は海の魚よりうまみがあり、上手に処理すれば小骨のある部分がおいしい」と北沢正和館主(66)。「どう食べやすくするかが工夫のしどころで、食材としてまだまだ可能性がある」と語る。
鯉は古来、栄養に富む薬用魚と呼ばれ、徒然草にも「やんごとなき(=貴い)魚なり」と記されている。佐久では1800年代に稲田での養殖が盛んになり、1906年にはドイツ鯉との交配で体高が高く低水温でも成長する佐久鯉が形成された。30年ごろに「佐久鯉」と名称を統一して出荷量が大きく伸び、62年には養殖鯉の生産で長野県が日本一となった。その後、茨城県の霞ケ浦などで養殖が始まり、食生活の変化もあって生産量は減っているが、地元では年末年始や祭礼の家庭料理として愛されている。
(長野支局長 宮内禎一)
[日本経済新聞夕刊2016年3月22日付]
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