腰のヘルニア、広がる注射治療 副作用には注意も
腰痛や脚の痛みを引き起こす腰椎椎間板ヘルニアの治療の現場で、新しい治療剤「ヘルニコア」の導入が進んでいる。2018年に認可された注射薬で、ヘルニアの原因となる椎間板の出っ張りを和らげる。全身麻酔による手術が不要で、入院も短縮でき患者の負担が軽減できる。今後利用がさらに進みそうだ。


「注射だけなので体に負担がなく、入院も短くて済んだ」。2020年にヘルニコアによる治療を受けた東京都在住の男性(65)は振り返る。
男性は同年1月末に腰から右足にかけて痛みを覚え、その後寝ていられなくなるほどに悪化した。東京医科大学で腰椎椎間板ヘルニアと診断を受け、5月に同大でヘルニコアによる治療を受けた。
男性は治療前日から入院し、翌日には退院。仕事を休んだのは1日だけで済んだ。2週間後には睡眠薬や痛み止めなどの服用をやめて「普通の生活ができている状態」(男性)となった。磁気共鳴画像装置(MRI)による診察でも患部に改善が見られた。その後は2回通院し、11月に治療を終えた。
背骨を構成する骨(椎骨)の間には椎間板があり、クッションの役割をしている。主に腰の部分にある椎間板の中央にあるゲル状の物質、髄核が出っ張って神経を圧迫し、痛みを生じるのが腰椎椎間板ヘルニアだ。腰痛や脚の痛み、MRI画像などを基に診断する。男性に多く、主に20~40代で発症しやすい。人口の1%ほどが発症するとされ、そのうち手術に至るのは年間で約3万人だ。
多くの場合出っ張りは吸収され、数カ月で自然に良くなる。初期は痛み止めや局所麻酔などで経過をみて、1~数カ月たって改善しなければ内視鏡手術などで出っ張りを取り除くのが一般的だった。ただ手術時に全身麻酔が必要で手術前後に1週間ほど入院、その後長いリハビリを要するのも難点だ。
ヘルニコアによる治療では、薬剤の主成分であるコンドリアーゼというたんぱく質を髄核に注射して保水成分を分解する。水分による髄核の膨らみが収まり、椎間板の出っ張りが和らいで、神経の圧迫を軽減する仕組みだ。施術も部分麻酔で済み負担が少なく、入院期間が短い。手術当日のみ入院するのが一般的だがヘルニア治療に詳しい岩井整形外科内科病院(東京・江戸川)の石橋勝彦医師は「外来で日帰りする患者も増えている」と話す。
治療を進めると一般的に痛みはゆっくりと改善する。「直後から改善が見られる患者は4割ほどで、3カ月後に8割ほどが良くなる」(東京医科大の遠藤健司准教授)という。
長年悩んできた人にとっては受けやすい治療だが、すべての患者ができるわけではない。腰椎椎間板ヘルニアの約3~5割を占める「後縦靱帯下脱出型」と呼ばれるタイプで椎間板が極端に変性していない、初めてヘルニコアを使うなどの一定の条件を満たした患者だけが適用になる。
治療は少しずつ広がっている。ヘルニア治療の実績が多い岩井整形外科内科病院と稲波脊椎・関節病院(東京・品川)では、18~20年に内視鏡手術を約3100件実施しているが、ヘルニコアによる治療は同時期で計約90件と徐々に増えている。
ヘルニコアを巡っては、重い副作用が発生する可能性が懸念されてきた。同じように髄核に注射する薬で全身症状であるアナフィラキシーが多く起きることが報告されていたからだ。
18年以降、全国でのヘルニコアの治療件数は6000例を超えた。製造販売元の生化学工業などは市販後調査を進めており、現在3000例の効果や副作用を分析している。結果は秋にもまとめる予定だ。同社によると20年3月までに1例のアナフィラキシーの報告があった。この患者は回復しているという。
ただし、ヘルニコアを一度使うと体内に抗体ができ、再び使った際に副作用が起きやすくなると考えられている。このため、実施は一生に一度だけと決められている。
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学会、対応医師を増やす計画
ヘルニコアを使った治療の普及のカギを握るのは、副作用として懸念されているアナフィラキシーのコントロールだ。まだほとんど報告されていないが、異種のたんぱく質を体内に入れるため起きる可能性は否定できず、注意深く使用していく必要があるという。
日本脊椎脊髄病学会や日本脊髄外科学会は、ヘルニコアを使用できる医療施設の条件に「アナフィラキシーなどが起きた場合に対応できること」などを定めている。
実施する医師にも「同学会の(治療経験が豊富な)指導医や治験に参加した医師」などの要件を設け、慎重に対応している。このため、日本脊椎脊髄病学会理事長の松山幸弘・浜松医科大学教授によると、現在、治療できるのは1000施設ほどで、指導医や治験に参加した医師は2000人程度だという。
ただ患者の利便性などを考慮するとまだ十分とはいえない。日本脊椎脊髄病学会は、専門医を条件に加えるなど、2022年をめどに要件を更新していく計画だ。
(尾崎達也)
[日本経済新聞朝刊2021年2月8日付]
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