果敢に新製品へ挑戦 PBタイヤで社員初の失敗奨励賞オートバックスセブン 小林喜夫巳社長(上)

新型店では家でも使いやすいデザインを意識する
新型店では家でも使いやすいデザインを意識する
■1981年、営業マンとして初めて整備場の責任者になる。

カー用品店の「オートバックス」は当時、自動車整備の現場をドライバーに見せることにこだわっていました。求められるのは接客のスキルです。そこで営業を担当していた私が、当時全国最大だった高槻店(大阪府高槻市)の整備場の責任者を任されました。

多かったのがクーラーの後付け作業です。電装業者に頼んでいた作業を高槻店でやることになったのですが、当時は詳細な設計図はありません。整備の素人だった私は、手探りで数をこなし学んでいきました。

夏になると「お盆の帰省に間に合わせてくれ」というお客さんが駆け込んできて、ピーク時は朝まで作業していました。辛抱強く待ってくれたお客さんに、差し入れをもらったことは大切な思い出です。

■店長に就任し、月次売上高の記録をつくる。
こばやし・きおみ 1978年(昭53年)桃山学院大経営卒、大豊産業(現オートバックスセブン)入社。2010年取締役。14年副社長。16年から現職。大阪府出身。64歳

83年に高槻店の店長に就任し、同年12月にオートバックスとして初めて月商1億円を達成しました。創業者で当時社長だった住野利男さんに「高槻店の売り上げを1位にする」と約束していた私にとって、感慨深い出来事でした。

ところが翌月、愛知県の店舗が記録を塗り替えそうだとの情報が入りました。そこで高槻店では急ぎ計画を修正し、2カ月連続の月商1億円を達成しました。

直営店の店長は当時、毎月本社に呼ばれていました。会議室では店舗の売り上げ順に並ばされ、その月の営業成績を報告します。そうしたなかで自然と店舗間の競争意識が育まれていたのだと思います。

■社員で初めて「失敗奨励金」をもらう。

89年に高槻店から東京の商品部に移り、プライベートブランド(PB)のタイヤの開発を担当しました。ここで私は別の記録を作りました。社員で初めて「失敗奨励金」をもらうことになったのです。

失敗したのはタイヤの摩耗を自動で測定するシステムでした。店舗の駐車場の道路にカメラを埋め込み、入店する車のタイヤの溝の減り具合を撮影。溝が減っていたらアラームが鳴り、店員が駆けつけてタイヤ交換をお勧めします。

ところが「店頭に担当者を立たせ、タイヤを直接見た方が早い」との結論に至り、失敗に終わりました。

オートバックスは当時、店舗数を順調に増やしていました。その半面、社内で挑戦する風土が薄れていたのかもしれません。そこに危機感を抱いた住野さんが、失敗奨励金という仕組みを考えたのでしょう。

失敗を恐れずに挑み、市場をつくるという精神は社長になった今も大切にしています。

あのころ……

1960年代後半から急速なモータリゼーションが始まり、国内の自動車保有台数は81年までの15年間で約5倍の約3900万台まで拡大した。オートバックスは車の整備需要の拡大を追い風に、96年までの約17年で店舗数を5倍の500まで拡大した。

[日本経済新聞朝刊 2020年10月13日付]


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