直談判でゲーム企画担当 上司説き伏せヒット作生むバンダイナムコエンターテインメント社長 宮河恭夫氏(上)

■入社12年目、宮河恭夫社長は当時の上司に異動を直談判する。

入社からおもちゃの営業に携わっていましたが、当時の上司に直談判して家庭用ゲームの企画部門に異動させてもらいました。1992年のことです。

任天堂の「スーパーファミコン」が急速に普及した時期です。バンダイもソフト開発に力を入れ「ウルトラマン」や「ガンダム」を原作とするゲームを販売していました。社内のゲーム部門も勢いがあって、優秀な人材を集めていました。

単に花形の部署に異動したかったわけではありません。私は学生時代から音楽が趣味で、膨大な数のレコードを集めては、ライブに足しげく通っていました。ハードが進化すると、音楽や効果音がゲームの人気を左右するようになる。趣味と仕事を両立しつつ会社に貢献できると思いました。

■人気ソフトの続編に手を挙げた。

ゲーム企画部門の人数は30人ほど。少数精鋭でゲームの企画や販売プランを練り、開発は外部の会社と協力する体制でした。異動がかなったからには、積極的に取り組もう。そんな気持ちでスーパーファミコンでヒットした「ドラゴンボールZ 超武闘伝」の続編企画に手を挙げました。

私には勝算がありました。ドラゴンボールは誰もが知る大ヒット漫画で、アニメも人気です。だけど、1作目は音楽やキャラクターの音声表現が不十分でした。アニメの世界観を表現できれば、続編もヒットすると思ったんです。

問題はゲームのカセット容量でした。当時、容量は8メガビットが主流でしたが、映像や音声をふんだんに盛り込み、キャラクターがしゃべりまくるようにするには倍の16メガビットが必要です。すると製造コストが増え、ソフトの売値も2割近く高くなる計算でした。

■部長をチームで説得した。

裁量を持つ部長は容量の増加に反対しました。「他社のゲームより割高に思われて、消費者には受け入れられないだろう」と。

みやかわ・やすお 81年(昭56年)東京経済大経卒、バンダイ入社。14年サンライズ社長。19年から現職。東京都出身。

一方で私はチーフプロデューサーとして、ゲーム開発の進捗管理と販売計画に責任があります。現場の監督やエンジニアとどれだけ相談しても、アニメの世界観の実現には容量を増やすしかなかった。そこで販売部門と協力し、コスト増を吸収できる計画を策定。見積もりを抱えて何度も部長のもとに通いました。

バンダイは多くのアニメキャラの版権を持っています。その強みを生かし、うちにしか作れない作品を作りたい――。最後は部長も開発現場の声を受け入れてくれました。

私だけでなく、開発陣みんなが力を合わせた結果でしょう。93年に発売した続編「超武闘伝2」は100万本超のヒットになりました。

あのころ……

1990年に任天堂が家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」を発売した。93年には累計販売台数が1000万台を超え、ゲーム業界は黄金時代を迎える。ソフトの開発競争も過熱し、100万本以上売れるヒット作も相次いだ。

[日本経済新聞朝刊 2020年5月26日付]


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