差別なくし、分断越えよう 映画監督・河瀬直美さん
感染拡大が続く新型コロナウイルス。世界を一変させた脅威とどう向き合うべきか。2021年への延期が決まった東京五輪の公式記録映画の監督、河瀬直美さんに寄稿してもらった。
2020年の夏開催を目指し、東京では56年ぶりのオリンピックが開催されるべく準備が進められていた。私も公式映画監督として関係者へのインタビューを中心に取材を進めていたが、日本は開催4カ月前に7年間準備してきたものを一度ご破算にしなければいけない状況に遭遇した。
行動変異が可能
延期された1年後にこのコロナウイルスを終息させられるか否かが緊急の課題だ。日本は欧米諸国のように都市封鎖をできない法律になっている為(ため)、強制力に欠けるが「自粛要請」を政府が出した段階で多くの国民はそれに従い、ある一定の行動変異を起こすことができるはずだ。
私は首都から西に500キロ離れた古都奈良に住んで表現活動をしているが、主なクライアントや仕事仲間は東京におり、やりとりは通常でもテレビ電話を使って行われる。ここ10年ほどはフランスにもスタッフがいるので彼らとの作業も時差こそあれ、同じようにリモートで行う。映画を作るという私のような特殊な職業を持つものにとって、仕事と快適な住環境を両立させることは、近代文明がなければ難しかった。
人と直接会って話をし、目を見てその人の想(おも)いを感じ取り、関係を深く保ってゆくことを良しとする感覚は私にもある。しかし、出逢(あ)う人の数が増えてくると、1人に割く時間が刹那的に終わる。そうなるとまるでその刹那的な関係の為に時間を大量に消費しているような感覚に陥って、心を落ち着ける時間が全く無いと言う事に気づく。家族との時間もほとんど取れずに今いったい何をして何を感じて生きているのかがわからなくなる。
感染拡大を防ぐ為に人類の4割にあたる人々が外出禁止の措置の中に暮らしている。自粛を背景に、CO2排出量が半分に減ったと言う報告もあるが、経済的ダメージは計り知れない。ウイルスの脅威と貧困の脅威が二律背反の形で現代社会に生きる私たちに大きくのしかかる。一人一人の幸せを全て均等に満たすことは社会生活を営む人類にとって不可能である。万人の為のルールは時に誰かの幸せを満たせない事もある。
こういう不測の事態に対しての対策を想像力を持って準備できている仕組みが必要である。政治はリーダーシップを持ってそれを突き動かしていかなくてはいけない。今回の場合では、最前線で人命救助のために日夜戦っている医療従事者への配慮はもとより、感染者やその家族に対する差別意識をもたず、正しい見解と行動をいち早く国民に周知し「差別意識」を排除する必要がある。
人々を襲う孤独
差別は弱者に対するものだけでなく、違う考えを持つ者同士が同じ考え方の人間を携えて、異類を排除するという形を取ることがある。あらゆるところでこれが現れると、「差別」ではなく「分断」が始まる。関係性を繋(つな)ぎ合わせることが困難になり、やがては「孤独」が人々を襲うだろう。そんな時、歴史上もそうだったように、宗教や芸術が人々の心を救い始める。生きる上でのよりよい考え方を私たちに与え、心が晴れやかになる瞬間があるからだ。暗闇の中で生きる意欲を失ってしまった心に一筋の光を宿すのである。
先日、人類生態学者の方が21世紀の脅威を4つ挙げていた。それは「核」「気候変動」「資源の枯渇」「経済格差」であるが、全ては人類が起こしていることである。その脅威を排除できる確率を52%とみなしていた。48%は失敗するのだが、五分五分ではなく、2%成功する側に寄った予測をする楽観主義者であると自身を分析していた。これを見た時、私もなるほど楽観主義者であると思った。
1年後のオリンピック開催はこの春、人類が経験したことのない種類のウイルスをどのように封じ込めるか、またその後の生き方をどう改めてゆくのかにかかっている。それはまだ失敗の可能性もはらんでいる。やがて始まる「分断」を乗り越えて、真のつながり、共存を確認しあえる五輪の開会式に聖火が煌々(こうこう)と火を灯(とも)し、人々の心に宿ることを願う。それは決して華やかなものでなくてもいい。楽観主義者の私は、ただただ同じ場所に人種の壁を越えてどんな差異もなく集えることを喜び合える人類の祭典でありたいと思っている。
[日本経済新聞夕刊2020年4月27日付]
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