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ロイヤルホストの店舗

ロイヤルホストの店舗

■ロイヤルホールディングス(HD)の黒須康宏社長は周囲の反対を押し切って入社。2年で店長になる。

「大学を卒業したのにボーイになるのか」。大学生時代のアルバイト先だった「ロイヤルホスト」を運営していたロイヤル(現ロイヤルHD)に入社したいと言うと、実家の両親、親族からも猛烈に反対されました。地元で1度就職をしてから説得を続け、ようやく入社にこぎ着けました。

1980年代はファミリーレストランの成長期で、大量に店長が生み出された時代でした。25歳の若造でも一城の主(あるじ)として扱われます。自分より年上の主婦から学生まで束ねなければなりません。

高校生のアルバイトを雇う際、ご両親から抗議の電話を受けたこともありました。ただ、その子が高校を卒業をするときには「仕事を始めて本当に成長しました」とお礼を言いに来られて目頭が熱くなりました。従業員とともに、店や自分が前に進んでいる実感が仕事の醍醐味でした。

■複数店舗を管轄するエリアや地区を束ねるマネジャーとなる。
くろす・やすひろ 82年(昭57年)名城大商卒、ロイヤル(現ロイヤルホールディングス)入社。11年取締役、16年社長。19年から現職。静岡県出身。61歳

くろす・やすひろ 82年(昭57年)名城大商卒、ロイヤル(現ロイヤルホールディングス)入社。11年取締役、16年社長。19年から現職。静岡県出身。61歳

30歳を過ぎると川崎や横浜といったエリア、その後には複数のエリアを束ねる地区を管轄するようになります。巡回した店舗では応援に入ることも度々でした。なので頭髪はロイヤルカットとよばれる社内で決められた角刈りスタイルを保ち、接客用の制服を持ちながら担当地区を飛び回っていました。

ロイヤルホストの1号店出店から約20年。創業当時の気風も根強く、どちらかといえば下から上に物を言えない文化だったと思います。地区の会議のあとには店長たちを飲みに連れ出し、一家言ありそうな店長をけしかけ、不平や意見を引き出していました。

■営業と現場の間の壁を肌で感じた。その課題は、後に取り組む営業時間の見直しにつながることになる。

98年に「シンガポールチキンライス」という商品を出しました。機内食を手掛けていたご縁からメニューに加えたのですが、当時はまだ珍しい料理で大変人気になりました。

ただ、店頭での調理作業が多い商品でした。ゆで時間や温度などもデリケートで現場には負担がかかっていました。現場は注文数が出れば士気も上がるため、従業員は頑張ってこなしていましたが「もう少し考えてほしい」との声も漏れてきます。予算達成と現場の声との板挟みにあいながら、悩みましたね。

現場の負担をどう見直すかという宿題は、経営に携わるときに改めて24時間営業の廃止という形で取り組むことになります。

あのころ…

1980年代はチェーンの飲食店が急増。業界規模は1年で1兆円近いペースの成長を続けた。家族での外食も一般化し、ファミリーレストランではロイヤルやすかいらーくなどが80年前後に相次ぎ上場するなど産業化も進んでいった。

[日本経済新聞朝刊 2020年3月17日付]

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