製鉄マンに愛された極細縮れ麺 岩手・釜石ラーメン
「鉄と魚とラグビーの街」を掲げ、2019年ラグビーワールドカップ(W杯)の試合会場になった岩手県釜石市に、製鉄マンが愛したラーメンがある。琥珀(こはく)色に透き通ったスープと極細縮れ麺が特徴の「釜石ラーメン」だ。地域を象徴する製鉄所の高炉が休止するなど「鉄冷え」でにぎわいが失われた街で、どこか懐かしい味が観光客らの注目を集めている。
釜石市民ホールのそばにある新華園本店。午前11時に開店すると、席が次々に埋まっていく。注文後、席に運ばれてきた器の中には、琥珀色のスープと極細縮れ麺。王道の釜石ラーメンだ。極細麺はコシがあり、あっさりとしたスープは昔の中華そばのようなやさしいしょうゆ味だが、繊細なうまみとほのかな甘みが口の中に広がる。
店主の西条優度(まさのぶ)さん(70)は「独特のうまみの秘密は、鶏ガラと豚のゲンコツ(大腿骨)をそれぞれ別の寸胴鍋で煮込み、取っただしを合わせる『ダブルスープ』にある」と明かす。
釜石ラーメンは、1950年代半ば、富士製鉄(現日本製鉄)釜石製鉄所の高炉などで3交代制で働く製鉄マンが出勤・退勤の際に、手早く食べられるように調理法が確立したとされる。「肉体労働で疲れた後や出勤前は『こってり』より『あっさり』の方が食べやすく、好まれる」(西条さん)という。
もう一つの特徴の「極細縮れ麺」も製鉄マンに愛された証しだ。ひときわ細い自家製の麺が印象的な同市上中島町のお食事ハウスあゆとく。かつては店の近くに製鉄所の社宅が立ち並んでいたという。「極細縮れ麺は、数十秒でゆで上がる。当時は注文してから待たせないことを重視していたようだ」。鮎田健社長(54)はこう説明する。
だが、鉄の街のにぎわいは70年代後半の不況「鉄冷え」や89年の高炉休止で急速に失われた。そこに2011年の東日本大震災が追い打ちをかける。W杯試合会場となった鵜住居地区は津波で店舗が全て流され、経営者や店員にも犠牲者が出た。
同地区の住民に請われ、震災後に市中心部の仮設店舗でラーメン店「こんとき」を経営していた紺野時男さん(70)は19年8月、店を移転した。新店舗の背後には高台に移った市立釜石東中学校などが立つ。「釜石伝統の味が、何もかも流された地区に再び客を呼び戻す一助になれば」
鉄冷えや震災、W杯の試合を中止に追い込み浸水などの被害を出した台風19号――。製鉄マンが愛したラーメンは幾多の困難を乗り越え、一段と滋味を増している。
釜石商工会議所内に事務局を置く「釜石ラーメンのれん会」によると、釜石ラーメンを提供しているのは、市内の中華専門店や食堂、そば屋など計30店舗に上る。各店は極細縮れ麺と琥珀色のスープをベースにトッピングなどで個性を競っている。
同会は2011年3月、ラーメンを提供する10の事業者が地域活性化に向けて設立に合意したが、翌日に震災が発生。ラーメン事業者の半数の20店が被災した。同年11月に正式に会を設立し、ラーメン店マップを作製するなどPRに取り組んでいる。
(盛岡支局長 青木志成)
[日本経済新聞夕刊2019年11月14日付]
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