林真理子流「風と共に去りぬ」 ヒロインの個性に共感

2019/10/28付
1939年の映画でスカーレットを演じたヴィヴィアン・リー(右)はたくましい女性像を具現化した=アマナイメージズ提供
1939年の映画でスカーレットを演じたヴィヴィアン・リー(右)はたくましい女性像を具現化した=アマナイメージズ提供

作家の林真理子(65)がマーガレット・ミッチェルの長編小説「風と共に去りぬ」をもとに新作を執筆した。ヒロインの一人称で個性を強調。現代の女性が共感しやすい物語に仕立て直した。

「私が中学生のころ、女性は短大に入って地元で就職し、結婚するという道が一般的だった。そんな時代に、ドラマチックに生きたいと思い、東京に出るきっかけを与えてくれた」

林にとって「風と共に去りぬ」は米国文学史上の名作というだけでなく、自らの人生を決定づけた一冊でもある。南北戦争を背景にヒロイン、スカーレット・オハラが時代に翻弄されながらも、たくましく生き抜くさまが山梨の学生だった林の琴線に触れた。

高飛車なセリフ

今回、「私はスカーレット」と題して、1936年刊行の世界的ベストセラーを下地にした新作に挑んだ。2018年6月に小学館の文芸誌「きらら」で連載を始め、今月、文庫版で第1巻が出たばかり。ページを繰るごとに真理子流の「超訳」による新たな世界が広がる。

「こんな私に恋をしない男の人がいると思う?」

「私は一人で戦う。そして必ず彼を手に入れてみせるのだ」

物語はスカーレットの一人称で進み、彼女はしばしば高飛車なセリフを吐く。原作でも勝ち気な人物として描かれているが、わがままなイメージをさらに強調した。

原作について、林は「第三者の目線からスカーレットを利己的な人物、社会の規範から外れる『異物』として描いている」とみる。それに対し「現代文学はMe(私)から始まる」との見方に基づき、近代文学では描かれる対象だった女性を主観的に描き、現代風にアレンジしている。

原作では横軸となる南北戦争のエピソードを大胆に省略したのも、真理子流といえるだろう。「南部と北部の複雑な状況説明など、戦争に関する描写に読者はつまずく」と感じたからだ。「本や映画を見た人は少なからず(スカーレットが恋する)レット・バトラーのような男性との恋愛に憧れたはず」と自身の体験も踏まえながら、ヒロインの内面が前面に出たラブロマンスとして再構成した。

新たな視点・解釈

「スカーレットへの愛情は原作にも負けていない」と自負する林

改めて名作と向き合ったことで新たな気づきもあったという。あまたの男性を引きつけ、3度も結婚をするスカーレットが「16歳だったとは」と登場時の設定の若さに驚いた。理性より感情が先走りする行動にも納得できる年ごろといえる。ただ「原作を読んで違和感があった部分を、16歳のおてんばにうまく語らせる必要がある」と考えた。

そこで工夫したのが、フランス貴族の家に生まれたスカーレットの母親、エレン・オハラを道徳的な女性として捉えたこと。これで母を規範とするスカーレットの言葉や行動にも深みを持たせることができた。

ミッチェルが亡くなって60年以上がたち、原作の知的財産権は消滅。自由に翻訳できるようになり、日本で新訳が相次いでいる。

「超訳」は元の設定の大枠を保ちながら、忠実な訳にはとどまらず、新たな視点や解釈を持ち込む。林はそれを「決して手引書やダイジェストではない」と強調する。「超訳は文学として、それ自体で完成している。原作を超えることができなくても、スカーレットへの愛情は原作にも負けていない」との自負がある。

これまで橋本治「桃尻語訳 枕草子」、田辺聖子「新・落窪物語 舞え舞え蝸牛」など、様々な著名作家が古典文学を大胆に「超訳」してきた。林自身も10年に「源氏物語」の超訳「六条御息所 源氏がたり」を手がけている。

林には、学生時代の自分のように「現代の10代にも名作に触れてほしい」という思いがある。「本を読まないとどんどん薄っぺらになっていく」と読書離れに警鐘を鳴らし「良い読者を経て書き手になっていく」と、古典を読み込むことが作家の必須条件とみなす。

「私はスカーレット」について「このまま書き続け、続編も出せれば」という。ほかの外国文学の古典にも「挑戦してみたい」と意欲は十分だ。

(村上由樹)

[日本経済新聞夕刊2019年10月28日付]

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