辻仁成のカジダンへの道 父子で分担、反抗期乗り切る
父子家庭を維持するイベントとして、僕は頻繁に父子旅を企画するようになる。車の運転が好きだったので、2人で欧州を旅した。パリからボルドーや南仏、遠くスペインやデンマークまで7時間も8時間も車を走らせることになった。だいたい海が見える場所まで行き、水平線に沈む夕日を2人で眺めた。
旅先だからこそ分かり合えること、語り合えることがある。父子のいい関係を維持するのにこの父子旅は役立った。協力しあうこと、手伝うこと、一緒に行動すること、同じ目的を持つこと、で親子の関係に柔軟性が生まれた。6年たった今も僕らの父子旅は定期的に続いている。
ところが3年ほど前から、この父子旅行に奇妙な風が吹き始めた。中学校にあがった息子の様子がおかしい。どうやら反抗期、思春期に突入したようである。一緒に旅したくないと言い出した。口を利かなくなった。口答えをするようになり、いい感じで築き上げてきた父子の関係が微妙にゆがみだしたのだ。
「パパには相談をしたくない」と拒否されるようになった。毎朝作っていた朝ごはんでさえ「自分でやるからもう必要ない」と言われ、僕は気落ちした。でも、容赦ない反抗ではなかった。この数年の恩義があるのか、反抗にも優しさがにじんでいた。
そこで思い切った行動に出ることになる。反抗期を恐れて甘やかすと、かえって反抗心をあおる可能性もある。むしろここで甘やかしてはいけない、反抗期だからこそ厳しくすべきじゃないか、と思いついたのだ。彼はバレーボール部のキャプテンだったし、スポーツマンシップがあったので、何でもかんでも父がやるという父子関係は終わりにした方がいいと僕は判断をした。
そこでいちかばちか、役割分担について息子と話し合ってみた。「パパばかりがごはんを作って掃除や洗濯をするのはおかしい。2人で生きているのに、王様と奴隷のような関係は間違っている。パパだって生きているし、人権がある。君はもう中学生なんだから片付けや手伝いをすべきだ」と主張した。
フランスという国は自由や人権を生み出した国なので、こういう説得は功を奏す。こちらから無理強いしたわけではなく、責任感に火をつけた形だ。
反抗しつつも、息子は食べたら片付ける、散らかしたら掃除するようになった。反抗期は続いたが、厳しくしたことで、2人の間に役割分担が出来たことで僕らの関係は新しい時代に突入することになる。そして、中学3年生にあがる頃、きつかった反抗期の風が和らいだのであった。
1959年生まれ。81年、ロックバンド「エコーズ」を結成。97年「海峡の光」で芥川賞。99年「白仏」の仏語版でフェミナ賞外国小説賞。映画監督としても活動する。パリ在住。
[日本経済新聞夕刊2019年6月25日付]
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