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私の課長時代

不合理な営業慣習、打破に挑む 西武ホールディングス社長 後藤高志氏(下)

2019/5/21付 日本経済新聞 朝刊

芝支店時代、佐々淳行氏の危機管理の本にたびたび救われた

■1987年に人事部の配属となった。

71年に第一銀行と日本勧業銀行が合併した後の1期生だったこともあるのでしょう。経営陣からは行員を適材適所に配置させる人事案を作るよう指示されました。合併後、それぞれの出身母体で人材が偏った支店があったからです。

ある支店で優秀な行員を異動させようとします。すると色々な横やりが入ってきます。私は逆に燃えるタイプですが、これを容認してしまうと組織はうまく回りません。人事とは会社の最大のメッセージだと思っています。丁寧に説明しながら人事を進めました。

人事部では行員の顔写真と経歴を頭にたたき込むことも仕事です。「3千人分の顔と経歴が一致しないと仕事にならないよ」とも言われました。人のことを肩書ではなく名前で呼ぶのは当時からの習慣です。

■92年、若手の登竜門とされる支店の支店長になった。

調布仙川支店(東京都調布市)は赴任当時から優秀な営業成績を上げていました。ただ、融資で特定の取引先に依存した営業姿勢が気になりました。しかも、営業が不正確な内容の契約伝票を事務方に回すため、処理が夜遅くまでかかる日もありました。事務方の負担を増やすようなやり方は無駄だと思いました。

まずはそうした営業姿勢を改めました。事務職にもいい加減な伝票を処理した場合はそのいきさつを厳しく問いました。すると月に100件強あった『無駄な』事務件数がゼロになる月も出始めました。

営業系の行員は面白くなかったでしょう。支店OBに不満を言った人もいたようで、本部から事情聴取されました。報復人事が気にならないといえば嘘になります。ですがアンフェアなことをしてまで立身出世を目指そうとは思いません。大学時代にはラグビーに励み、その精神が磨かれたと思っています。

■95年企画部副部長に就任。97年4月に総会屋への利益供与事件が発覚。

次の役職に就く7月までは地獄の日々でした。5月の頭取交代会見でも新たな融資疑惑が判明し会見場がざわつくなど、大変なことになるなと思いました。

事件に関わったとして総務部が家宅捜索を受けたので代わりに株主総会の準備を引き受けたうえ、捜査機関からの電話にも対応しました。まさに目の前のことで精いっぱい。体重は6キログラムも減りました。こうした危機を乗り越えられたのは不合理なことに立ち向かった課長時代の経験のおかげだと今でも思っています。

あのころ
野村証券が総会屋に株主総会対策などで利益供与した事件が発覚。その後、第一勧業銀行も不正が明らかに。後藤高志氏は経営陣の総退陣を主張。同僚だった作家の江上剛氏が命名した若手改革派「四人組」の中心人物となった。

[日本経済新聞朝刊 2019年5月21日付]

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