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私の課長時代

上司責めたら思わぬ異動 新薬開発10年、折れそうに 旭化成ファーマ社長 青木喜和氏(上)

2019/3/5付 日本経済新聞 朝刊

上司に詰め寄ったことで思わぬ辞令が。写真はイメージ=PIXTA

■旭化成ファーマの青木喜和社長(56)は入社以来、新薬の研究開発に携わり続けた。

大学院では農学研究科でバイオ領域、特に免疫に関する研究をしていました。石油化学を主力としていた旭化成は製薬事業では後発だったため、新しい分野であるバイオ創薬に力を入れていました。自分の研究テーマと合っていました。

研究者採用だった私は1990年から血液凝固阻害剤「リコモジュリン」の動物を使った薬理試験をする担当になりました。動物実験で成果が出ると、次は人への臨床試験(治験)ですが、これがなかなか前に進みません。

有効性を確認する第2相治験が遅れに遅れていました。研究所にいた私は会議のたびに「遅すぎる」と当時の課長に詰め寄っていました。すると思わぬ辞令が。私が東京で治験を担当する医薬臨床開発センターへの異動を言い渡されました。会議で文句を言っていたことが、人事に影響したのでしょう。

■治験の被験者探しに奔走した。

あおき・よしかず 87年(昭62年)東大院修了、旭化成工業(現旭化成)入社。18年から現職。東京都出身

東京での最初の仕事は治験に参加してくれる病院探しです。数十軒の病院を担当し、直接医師に治験への参加を依頼します。これまでの動物実験の結果から、この薬の効果には自信がありました。科学ベースの話をすると医師も向き合ってくれました。被験者集めでは、自分一人で全体の3分の1を集めました。リコモジュリンの第3相治験は当初想定の約2倍の5年超の歳月がかかっていました。

■2003年、プロジェクトリーダーに昇格した。

責任者になってからは、製品化を実現できるかどうかは自分次第だとより強く思うようになりました。

責任感が増した半面、心が折れそうになることも多くありました。90年からリコモジュリンの研究に携わり始め、10年超がたち、医薬以外の部門に行った他の同期はすでにいくつも製品を世に送り出していました。平均して10年以上かかるとされる新薬開発では珍しいことではなかったのですが、同期からは会う度に「まだやってるの」と言われました。

これを失敗したら自分は何のために企業に入ったのかと思い詰める日々。心の支えになったのは、懸命に取り組むチームメンバーと、優れた薬だという技術的な確信を持っていたことでした。

あのころ
1970年代から多角化の一環で医薬品事業に参入する素材メーカーが相次いだ。新薬開発は時間がかかり成功確率も低いが、当たれば大きな利益をもたらす。同業の帝人は74年に医薬事業本部と生物医学研究所を設立。旭化成は76年に医薬品事業に参入を果たした。

[日本経済新聞朝刊 2019年3月5日付]

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