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戯曲で無人劇、機械が演じる生と死 やなぎみわが個展

2019/3/4付 日本経済新聞 夕刊

「やなぎみわ展」のライブパフォーマンス。機械だけによる無人劇のほか、高松市美術館では俳優を交えた「有人劇」も披露された(2月、表恒匡撮影)

写真と演劇を往還して創作する美術家のやなぎみわ。高松市で始まった10年ぶりの個展では、シェークスピアなどの戯曲の一部を機械が演じる自動劇に挑む。全国5会場に巡回する。

「わたしはオフィーリア。わたしは自殺するのをやめた」。暗闇の中、録音された俳優の声が響き渡る。呼応するかのように照明がともり、ギリシャ神話の女神の名を与えられた4台の機械が「役者」として動き出す。ある機械は走り回って光を放ち、またある機械は頭蓋骨をかたどった置物を壁に投げつける。まるで意思を持っているかのように自動で動き、劇が進む。

■「人間は揺らぐ」

高松市美術館で2月から始まった「やなぎみわ展 神話機械」(3月24日まで)で上演する無人劇「神話機械」は、シェークスピアやドイツの劇作家ハイナー・ミュラーの戯曲に取材した物語を機械が演じる。2020年2月までにアーツ前橋(前橋市)、福島県立美術館(福島市)、神奈川県民ホールギャラリー(横浜市)、静岡県立美術館(静岡市)を巡回する。

演出や構成を手掛けたのは美術家のやなぎみわだ。1990年代半ばに若い女性にCG(コンピューターグラフィックス)や特殊メークを施した写真を発表して脚光を浴びた。2010年からは演劇にも着手。大型トレーラーを使った野外劇の移動公演に挑むなど、写真と演劇を行き来しながら新作を発表してきた。

やなぎは「無人劇は演劇の『再演』という言葉が新鮮だったことから始まった」と語る。「同じことを繰り返す行為は機械的だが、人間は常に揺らぐので完全に同じにはならない。以前に人間が機械化するテーマを扱ったので、今度は反対に機械を人間のように見せたかった」

実現に向け、17年から機械制作を各地の大学や高等専門学校などに打診した。京都造形芸術大学、京都工芸繊維大学、香川高専、群馬工業高専、福島工業高校の5校の協力を得て、機械を試作。完成後も初演直前まで、それぞれの機械が何分何秒に動き出すのか、揺れ方はどの程度かなど緻密な調整を続けた。

上演を繰り返すと思わぬ問題が起きるし、展示空間が異なる巡回先の会場でも同じように上演できる保証はない。「まだヨチヨチ歩き」と苦笑しながら「人間が消え去っても、人間が作り出した物語や神話を機械が永遠に演じる仕組みを作りたい」と、やなぎは言う。

人がいない世界で機械だけが淡々とシェークスピア劇を演じる。一種のディストピア(反理想郷)のようだが「今は人間のパワーが強すぎてバランスが狂っている。遠くない将来に人間は絶滅するように感じる。そうだとしても、かつてそこにいた痕跡を無人劇で残せれば」。

やなぎが福島の桃を撮影した新作の写真シリーズも展示した

人が生きて、死ぬ。その境界は何か。そんなことを考えさせるのが、本展出品の新作写真シリーズ「女神と男神が桃の木の下で別れる」だ。たわわに実を付けた桃の老木の写真は漆黒の闇に浮かび上がる赤と緑のコントラストが美しく、毒々しい。16年から福島市内で夜の果樹園に大型カメラを持ち込んで制作した。

■日本神話に着想

日本神話に登場する男神イザナギと女神イザナミの物語に着想した。イザナギは死んだイザナミを追って黄泉国(よみのくに)に行くが、腐敗した妻の姿を見て逃げ出す。そして「あの世」と「この世」を分かつ黄泉平坂(よもつひらさか)に生えていた桃を投げてイザナミを追い払い、生の世界に戻っていった。

生と死、光と闇を分かつモチーフとして桃を撮りたいと全国を探した。福島にたどり着いたのは偶然だったが、撮影していたのはちょうど原発事故の除染作業が盛んになっていたころだった。「寝転んでカメラ越しに見る風景はまさに桃源郷のような美しさなのに、近くには廃棄物もある」。最初は戸惑ったが、通っているうちに気にならなくなった。「それが日常ですから」(やなぎ)。生と死が隣り合わせ。それはどこにいても同じだと写真は語りかけてくる。

(岩本文枝)

[日本経済新聞夕刊2019年3月4日付]

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