クローデルの大作『繻子の靴』 日本語版で8時間上演

フランス人劇作家クローデルの代表作「繻子(しゅす)の靴」の日本語全曲版が京都市で初演された。訳・演出を手がけた仏文学者・渡辺守章の熱意が8時間を超える大作の上演を可能にした。
「死にます、死にます、あなたのお手にかかって死ぬ、なんという甘美な!」
道ならぬ恋に落ちた人妻プルエーズ(剣幸(つるぎみゆき))が夢の中で守護天使(瑞木健太郎)と対話する。背後の舞台装置では自転する地球が次第に大写しになり、夢だと暗示。守護天使が最上段から下に降りていくことで、プルエーズが神への愛に生きる覚悟を固める過程を目に見えるかたちで表した。
駐日大使も経験
作者のポール・クローデル(1868~1955年)は、20世紀前半のフランスを代表する詩人で劇作家。約45年にわたって外交官の職にも就き、欧米や南米、アジアに赴任。戯曲「交換」「真昼に分かつ」や詩集「五大頌歌(しょうか)」などを残した。「繻子の靴」は大正から昭和初頭にかけての駐日大使時代、関東大震災で被災しながらも書き上げた。
物語は1日目から4日目までの4部構成で、「魂の救済」をテーマにした上演8時間超に及ぶ大作。プルエーズと米大陸征服に向かう騎士ロドリッグの恋模様を軸に、彼女の夫ペラージュや背教者カミーユを巻き込みながら展開する。物語は大航海時代らしく地球をぐるりとめぐり、クローデルが体験した日本についての言及もある。

演出を担当したのは、これまでに翻訳劇の演出を数多く手がけてきた京都造形芸術大客員教授の渡辺守章。2005年に岩波文庫から「繻子の靴」の日本語訳上下巻を出版し、舞台化に取り組んできた。「クローデルは世界各地の文化を伝聞ではなく実体験し、それを作品に生かした初めての作家」と位置づける。
米大陸の征服者となったロドリッグとアフリカに滞在するプルエーズ。遠く離れて恋しさを募らせる2人の魂の交歓や、守護天使との内なる対話をどう見せるか。渡辺と映像・美術を担った映像作家の高谷史郎は「観客が場面をイメージしやすいような舞台装置が必要だ」と考えた。
階段移動で心理
10~11日の京都劇場春秋座(京都市)での公演では、階段状の高さ6メートル幅14メートルの舞台装置を設けた。階段は2メートル高くなるごとに背面が後退し、そこに幅1.5メートルの通路状の舞台を置いた。床面を含め、舞台の構造は3段。俳優が階段を移動することで、登場人物の立場や心理を表した。
舞台装置の背面は映像を投射するスクリーンを兼ね、各場面に応じたイメージ映像を映し出した。高谷は「渡辺さんの日本語訳は読者の理解を助ける訳注に本文とほぼ同じページ数を割いているほど詳しい。その訳注をフォローできる映像を作った」と明かす。
出演者は宝塚歌劇団出身の剣のほか、ロドリッグ役の石井英明ら。戦後に台頭する不条理劇を先取りしたような場面には、京都を拠点にする狂言師の茂山一門から七五三(し め)、宗彦、逸平らが参加した。口上役は狂言師の野村萬斎が映像で出演し、音楽では能楽笛方の藤田六郎兵衛の生演奏がはさまれ、各分野の実力派が集った。
渡辺は出演者を選ぶ際、「強度を持った言葉を発せられる俳優」を求めた。本作では、台本を譜面台に置いてセリフを朗読する場面と演技を含めた芝居で見せる場面が混在する。渡辺が演出に込めたのは「言葉の重みを取り戻したい」という思いだ。
原作はクローデルならではの長短入り交じった韻文で書かれている。現代演劇では少なくなったが、登場人物の独白かと思わせるほどの長いセリフも目立つ。登場人物の強い思いを伝えるために俳優に一息で言わせようとクローデルが考えたと思われるようなセリフもある。
剣は渡辺の期待に応え、強さと弱さが交錯するヒロインを熱演した。上演後、「これまで取り組んできた役の集大成になった」と語ったほどだ。渡辺は今回の舞台に手応えを感じており、クローデルの生誕150年となる18年に再演したいと考えている。
(編集委員 小橋弘之)
[日本経済新聞夕刊2016年12月19日付]
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