高田馬場はリトルヤンゴン ミャンマー料理香る街
ミャンマー人が多く住み、「リトルヤンゴン」とも言われる東京・新宿の高田馬場。本国の民主化に合わせるように定住者が増え、ミャンマーレストランは故郷の料理を求める人で混み合う。屋台の麺類から少数民族の伝統料理まで、その味は奥深く、多彩だ。
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午前11時前、JR高田馬場駅前の「ミンガラバー」を訪ねると、ちょうど仕込みの最中だった。調理担当のスビさん(34)が額に汗して作っていたのは「トウフ」。呼び方は日本の豆腐と同じだが、作り方や食感はかなり違う。
材料は小粒のひよこ豆のパウダーと塩、水だけ。ここに色づけのターメリックを少量加えボウルの中でよく溶かす。強火にかけたフライパンに流し入れひたすら混ぜ続けること約10分。粘りが強くなり、ツヤが増した頃合いをみて火を止め、金属容器に流し入れた。室温まで冷めるとトウフは完成。つるんとした食感で、くず餅に近い。店ではサラダにしたり、油で揚げたりして出している。
オーナーのユユウェイさんが店を開いて来年で20年になる。高田馬場では最も古いミャンマー料理店で、メニューには「母に教えてもらったヤンゴンの家庭料理」が並ぶ。
ミャンマーは東を中国、ラオス、タイと接し、西にはインドがある。それぞれの料理をバランスよく取り込んでいるため、極端に辛かったり、癖があったりが少ない。コメをよく食べるので「味付けは日本人にも合う」。
ミャンマーの代表料理と薦められたのが麺料理の「モヒンガー」。現地から輸入したナマズを煮込み、身だけをすり潰したスープに玉ねぎ、にんにくなどを加え、そうめんに似た米の麺にかける。トッピングはゆで卵や魚のすり身の揚げ物、パクチーなどの香辛料。「現地では朝食や小腹がすいた時に屋台で食べる庶民の味」だ。
「ダンパウ」もミャンマー料理に欠かせない。カシューナッツやレーズンを炊き込んだご飯に、スパイスでじっくり煮込んだ鶏のもも肉を載せた一品。インド料理に近いが、味はまろやか。現地では祝いの席でしか食べないハレの料理が、駅前で楽しめる。
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こうしたレストランが高田馬場駅周辺に20店ほど集まり、新しい店が次々オープンしている。
どうして高田馬場なのか。もともとは西武新宿線で2駅離れた中井駅にミャンマー人が集まっていた。1988年に起こった反政府運動を機に日本に移り住む人が増え、次第に交通の便がいい高田馬場駅周辺に移ってきたという。高田馬場を含む新宿区に居住するミャンマー人は約1800人(9月1日現在)。この1年で250人も増えた。
ビルマ族だけでなく、少数民族の味も体験できる。
ガード際の雑居ビルにある「ノング インレイ」ではタイ、ラオス国境近くに住むシャン族の料理を出す。オーナーは35年前に日本に亡命したスティプさん(70)。山田泰正という日本名も持つ。
シャン料理の特徴は発酵の味を好む点だ。手作りの「肉とお米のソーセージ」を注文してみた。豚の赤身のひき肉に塩とご飯を混ぜ、ラップにくるんで夏は一晩、冬は3日間発酵させる。現地で「ネイソン」(酸っぱい肉)と呼ぶように軽い酸味があり、お米のしっとりとした食感が優しい。シャン族の料理には乾燥した納豆の粉末、自家製の高菜漬けも隠し味に使う。
ミャンマー最北部の山岳部に住むカチン族の料理を出すのは「マリカ」。店主のデビッドさん(48)に聞くと「日本と同じようにたけのこや山菜などを使い、独特の香辛料を加えるのが特徴」と説明してくれた。
手に入らないハーブは、店の屋上のプランターで自家栽培している。気候が似ているからか「東京でも元気に育つ」のだとか。牛肉料理に使う、紫がかった生ハーブを少しもらった。
葉っぱをかむと、ドクダミとバジルを合わせたような複雑な香りが広がり、最後にピリッとした辛さが襲ってきた。
「私たちが最初の波とすれば、今は第2の波」と話すのはチョウチョウソーさん(53)。レストラン「ルビー」の店主で、在日25年になる。1980年代末から、ミャンマー本国の政治混乱を逃れ日本に向かったのが第1世代。民主化が進んだ最近は、留学生として来日する若い世代が多い。
第1世代は日本で家族を持ち、子どもたちの多くは日本の学校に通う。「そのせいか、民族意識が弱い」という。せめて祖国の言葉だけでもと、子どもたちにミャンマー語を教える活動を続けている。
(田辺省二)
[日本経済新聞夕刊2016年9月13日付]
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