江戸前アナゴ 盛夏にそそる
天ぷら・薄造り、塩で粋に
東京湾でとれた江戸前アナゴはすし、天ぷらなど江戸の食文化を支えてきた。今が8月のお盆過ぎくらいまで続く旬の真っただ中。白焼きや刺し身でも味わえるアナゴは暑い夏でも、食欲をかき立ててくれる。
江戸前アナゴについて、発酵学者の小泉武夫さん(72)は「東京湾は世界でも有数の豊かな湾。いくつもの川が注ぎ、栄養豊富な水が流れ込むため、小魚が育ち、それを食べるアナゴなどの魚類も育つ」と話す。
高度成長期の大規模な埋め立てや産業廃水流入で、東京湾は一時、魚が住みにくい海になっていた。その後、水質改善が進み、アナゴをはじめとする江戸前の魚介類がおいしく食べられるようになっている。
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江戸前のアナゴは多くが筒を使った漁でとられている。塩化ビニール製の筒(直径10センチメートル、長さ80センチメートル)の両端に三角すいの蓋を取り付けて、中にイワシなどの餌を入れ、アナゴの習性を利用して捕まえる。
羽田沖でアナゴ漁を営む野口喜久雄さん(69)に漁に連れていってもらった。午前5時半に港を出港。通常は前日に筒を海に沈めておくが、前日の豪雨で海が荒れていたため、筒を仕掛けるところから引き揚げるところまで1日で行った。
東京湾アクアライン付近に筒を仕掛けた。野口さんとコンビで24年間、アナゴ漁をしている松永昌久さん(43)が、一定のリズムでロープでつながれた筒を海に投げ入れる。筒の回収はすぐに始めたが、ほとんどの筒にアナゴが入っていた。「どこで漁をするかは前回のデータを参考にするが、最後は気配と勘」(野口さん)。100キロを超えるアナゴをとった。
納めた先はアナゴ専門の仲卸、山五商店(東京・築地)だ。水槽にアナゴを入れ、40~100グラムのメソといわれる小型のものから350グラム超のものまで重量別に5つに分類してから出荷する。同社が扱うアナゴの大半は韓国産。「品質の高い江戸前アナゴは、限られた店にしか卸せない」と同社の山崎大輔さん(33)。
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そんな貴重な江戸前アナゴを率先して使っているのが、東京・神楽坂の天ぷら店、天孝だ。小さいサイズのメソを使い、皮や骨をほとんど感じさせず、サクサクでふわふわのアナゴの天ぷらを味わわせてくれる。天つゆで食べるのもいいが、二代目店主の新井均さん(48)は「おすすめは塩を振り、大根おろしと搾ったレモンをかける食べ方。芸者衆のお気に入りの食べ方」と説明してくれた。
銀座ひらい(東京・銀座)はアナゴ料理専門店。必要量が賄えないため、他の国産も使っているが、夏場の限定メニューの薄造りでは新鮮な江戸前アナゴを使っている。しょうゆをつけて食べてもいいが、店主の平井良和さん(41)によると「初めは塩とスダチで味わうのがおすすめ」という。見た目と食感はふぐの刺し身のようだが、アナゴ本来の味と香りを楽しめる。
「江戸前という言葉にはクール、粋(いき)という意味もあるが、本来は『江戸城の前の海でとれた魚』を指した。しかし、今日、江戸前の魚の多くは入手が難しく江戸前だけですしを握るのは難しい」。銀座の老舗、寿司幸本店4代目店主の杉山衛さん(62)は本音を漏らす。
それでも江戸前アナゴにこだわる。「白焼きは江戸前でないと出せない」。店でさばき、クシをさしてあぶる。こげた皮が香ばしい。脂の乗ったやわらかいアナゴを夏の夕方に白ワインや冷酒と一緒に味わうと幸せな気持ちになる。煮アナゴには代々伝わるツメ(アナゴの煮汁を煮詰めて作ったタレ)をつけて食べる。
10年前より漁獲量が半減したという江戸前アナゴ。「筒漁の際は筒の水抜き穴を直径13ミリメートル以上にして生育途上のアナゴの稚魚を穴から逃がすなどの保護策をとる。筒漁はアナゴにストレスを与えないため、品質の良いアナゴもとれる」と横浜市漁業協同組合理事の斉田芳之さん(60)は解説する。そんな現場の努力を知ることが、これからもおいしい江戸前アナゴを食べ続けられるようにするために必要なのかもしれない。
国内各地で食べられるマアナゴは、2008年に沖ノ鳥島南方の海域が産卵場所の一つであることが判明した。ふ化したレプトセファルス(ノレソレ)は半年かけて2000キロ以上離れた東京湾に黒潮に乗って漂着し、稚魚に変わる。3~4歳になると南の海に戻り産卵するという。
アナゴ類の漁獲高は近年、太平洋中区(東京湾、伊勢・三河湾など)で特に減り、2005年の1380トンから14年は731トンに半減した。ただ「理由は複合的で今後の解明が必要」(東海正東京海洋大学教授)という。
(相川浩之)
[日本経済新聞夕刊2016年7月19日付]
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