マフィア映画に映る現代 「J.A.C.E./ジェイス」の衝撃
東京国際映画祭リポート(5)
会期後半に入って、コンペ部門に衝撃的な作品が登場した。メネラオス・カラマギョーリス監督「J.A.C.E./ジェイス」(ギリシャ、ポルトガル、マケドニア、トルコ、オランダ)だ。ギリシャに巣くう犯罪組織を迫真の映像で描くマフィア映画である。
主人公の孤児はギリシャ系アルバニア人で、本当の名前は最後まで明かされない。不義の子として生まれ、母親は赤子を抱いたまま、家名を守ろうとする叔父に絞殺される。叔父一家はこの子を引き取って育てるが、ギリシャへの入国を手引きしたマフィアによって皆殺しに。子供だけがマフィアに連れ去られる。利発だった少年は死ぬ直前の叔父に教えられた通り、身を守るために一切口をきかなくなる。
マフィアは物ごいから臓器売買まであらゆる目的のためにアルバニアの子どもたちをさらっていた。少年はアテネの商家に養子として売られるが、粗暴なマフィアに養父は殺される。マフィアの一人をあやめてしまった少年は逮捕され、施設に入るが、そこにもマフィアの手が伸びる。脱走をそそのかされ、仮病を使って入った病院で、腎臓を摘出されてしまう。
生き延びた少年はサーカスに潜り込み、象の飼育係となる。世話をする子象は、両親を殺されたせいか、時に凶暴化する。そんな象が、少年にだけはなついた。Just Another Confused Elephant(群れから離れ混乱した象)。少年は名をきかれ、その象の名を指さす。
少年ジェイスの受難は青年になっても続く。マフィアの息のかかったアテネの巨大なオカマバーの支配人にサーカスから連れ去られ、男娼となる。支配人はマフィアに殺され、ジェイスが容疑者として追われる。
その過程でマフィアの全容が明らかになっていく。病院から警察までもがマフィアと通じていること、オカマバーの地下にたくさんの子どもたちが監禁されていること……。真相を追うジェイスとその仲間たちにも危険が迫る。
一言もしゃべらないジェイスの目を通して、闇の世界が赤裸々に描かれる。殺人、傷害、恐喝、詐欺、誘拐……。孤児たちの恐怖が切々と伝わってくる。情感を排した冷徹なカメラが、ありのままの暴力をとらえているからだ。
南欧のマフィアをハードボイルドタッチで描いた映画といえば、10月29日に公開されるイタリア映画「ゴモラ」がある。映像の力では「ゴモラ」に一歩譲るとしても、無言の孤児を軸としたストーリーの巧みさが「J.A.C.E./ジェイス」にはある。どちらも虐げられた人々の激しい憤怒に満ちており、現代社会の深層に迫っている。
メネラオス・カラマギョーリス監督はこれが長編2作目。13年ぶりの新作だという。今年のコンペで最大の掘り出し物だろう。
日本でもよく知られた実力派監督の作品も出そろった。
セドリック・カーン監督「より良き人生」(フランス)は秀作だった。貧しいカップルの人生の選択を通して、生きる意味を問う作品で、みずみずしい映像に満ちていた。
パリに住むコックのヤンとウエートレスでシングルマザーのナディアは2人のレストランを持とうとするが、資金不足のために計画は頓挫。借金地獄に陥る。レバノン移民のナディアは、息子スリマンをヤンに預け、カナダに出稼ぎに行く。ヤンは店にこだわり、あらゆるつてをたどるが、怪しい仲介者も現れて、ますます苦境に立たされる。
家を追い出されて、赤貧の暮らしのなか、スリマンの孤独感は募る。ナディアからの連絡も途絶えた。万引き事件を機にスリマンとの絆の大切さに気づいたヤンは、ナディアを探しにカナダに向かう。
スリマン少年の自然な演技がすばらしい。まったく演技経験はなく、即興で演じた場面もあるという。印象深いのは、海辺の町で旧友に会ってもらえなかったヤンと船に乗って釣りをするシーン。魚を怖がるスリマンの表情がいかにもリアルだ。このシーンが物語の転換点、すなわち店よりも大切なものがあるとヤンが悟る場面だけに、スリマンの生き生きとした表情が実に効果的なのだ。
よく練られたストーリーがテンポ良く展開するが、現実を巧みに取り入れているので、作り物じみていない。幸福はどこにあるのか、という不易のテーマを生き生きと描いた良心作だ。
「トリシュナ」(イギリス)はマイケル・ウィンターボトム監督らしいたくらみに満ち、しかも美しい作品だった。
たくらみとはトマス・ハーディの小説「テス」の設定を現代のインドに置き換えたことだ。「テス」は近代化の波が押し寄せる19世紀の英国社会を舞台にし、旧来の村落社会の価値観と近代的な価値観に引き裂かれた女性の悲劇を描いた。ウィンターボトムは「村落の都市化が進む現代のインドでは、19世紀の英国で起きたことがより極端な形で現れている。例えば携帯電話を使いながら、井戸の水をくむように」と考えた。9年前に「CODE46」の撮影で訪れたインドのラジャスタン地方で着想を得た。この映画はまさにその地を主舞台とする。
熱帯の強烈な光、咲き乱れる花、緑の木々と鳥の声、極彩色の町並み。ナイーブな田舎娘と都会のプレイボーイの恋はそんな背景を得て、官能的に描かれる。ロマン・ポランスキー監督「テス」の静謐(せいひつ)で切々とした雰囲気とは対照的だ。おどおどとした大きな目で愛を求めるトリシュナ役のフリーダ・ピントが美しい。
ロドリゴ・ガルシア監督「アルバート・ノッブス」(アイルランド)はグレン・クローズの熱演にまず圧倒された。19世紀のアイルランドで1人で生きるために、女性であることを隠して執事になったアルバートの物語だが、映画の核心は彼女の妄想にある。
古い価値観の中で必死の思いで居所を見つけているアルバートの夢は、お金を稼いで店を持ち、伴侶を得ること。でもそんなことに新しい時代に生きようとする若者は共感しない。アルバートは若い同僚のメイド、ヘレンに求婚するが、気味悪がられるばかり。同じく男になりすまして生きているペンキ屋のヒューバートにも言い寄るが、たしなめられる。
身勝手な妄想に身もだえするアルバートは決して好ましい人物ではないが、そこに時代の悲劇がある。ペンキ屋役のジャネット・マクティアら脇役にも存在感があった。
(編集委員 古賀重樹)
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