話題の牽牛子塚古墳、斉明陵との幾何学的関係は? 古代天皇陵と都の図を追う
異説の日本史(4)
前回は古代史研究家、太田明さんが唱えた「天皇陵と宮の図」説のさわりを紹介した。初期の天皇は代ごとに狭い地域内で遷都しているが、その宮跡は「推定地」しか分かっていない。ところが太田さんによれば、天皇陵と宮の位置は定規とコンパスで「弓矢の図」を描くように決められているという。2代綏靖(すいぜい)天皇陵を起点に作図すると、確かに「葛城高丘宮」の推定地「奈良県御所市森脇」と一致した。
「益田岩船」が中心、根拠は日本書紀
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