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本書が出た当時、私はコンサルタント3年目、バブルの始まりということもあり、ずいぶん新規事業のプロジェクトに関わりました。本書が多角化とそれにかかわるリーダーシップに数章を割いているのはそうした時代背景もあると思います。

「新規事業が軌道に乗るまでは5年とか10年の長い期間の経過が必要で、しかもその間には予期せざる様々な問題が発生する」「その時、社長など経営者は内心ではしまったと思っても、その内心の不安を顔に出してはならない」「しばしばカラ元気のリーダーシップを必要とする」とはその通りで、現在でも当てはまると思います。

慶応大学ビジネススクール 清水勝彦氏

慶応大学ビジネススクール 清水勝彦氏

カラ元気を潔しとしない方もいるかもしれませんが、トップの言動は常にメッセージであることは吉原先生も指摘される通りです。トップが弱気になれば成功することも成功しません。

ただ、人は知らないうちに自信過剰になります。本来努力と工夫を重ねて初めて成功するような新規事業にもかかわらず、「当社のブランドを使えば大丈夫」「大手が中小に負けるわけはない」などという「常識」を自分の中で作ってしまうと失敗のもとです。

稲盛和夫氏が経営者として「私心なかりしか」を問うことの重要性を言っておられますが、私心というのはおごりや油断、さらにいえば「これだけの資源があるんだから(そんなに努力しないでも)もうかるに違いない」という思い込み、つまりスケベ心ではないかと思うのです。本書に挙げられる成功企業がいずれも大企業でないことは示唆的ですし、バブル期の多角化の多くが失敗しているのもわかります。

現在のような成熟市場に直面する日本企業の多角化がより真剣であることは間違いありません。ただし「プライドが許さない」「社長が始めたから」というようなことが5年も10年も取り組む理由だとすれば、それもまた「スケベ心」であることをお忘れなきよう。

ケーススタディー レゴのスケベ心

「レゴ」を知らない人はまずいないでしょう。そうそう、あのおもちゃのブロックです。1932年、デンマークで生まれたこの会社は、そもそもデンマーク語で「よく遊べ」を意味する「leg godt」からきています。業績は絶好調です。効果的なM&A(合併・買収=ピクサー、マーベル、ルーカスフィルム)を活用し、同じく絶好調のディズニーを特集した年末のEconomist誌(2015/12/19)では「ディズニーの次のターゲットはレゴか?」なんて書かれています。

しかし、歴史を見るとこの会社は結構ジェットコースターのような大成功と大失敗を経験してきたことがわかります。そもそも、この会社の代名詞であるレゴブロックの特許が切れたのが88年です。少し前のことですが、思い返していただくとお分かりのように、これと軌を一にしたかのようにパソコン、そしてテレビゲームが普及し始めます。あの任天堂「ファミリーコンピュータ」が発売されたのは83年、マリオブラザースが登場したのは85年です。

こうした環境変化に直面し、レゴの売り上げは93年をピークに下がり始めます。状況を打開するために新製品を矢継ぎ早に発表するのですが、業績は改善しません。98年、ついに外部から最高経営責任者(CEO)を招へいし、新CEOは当時ビジネス界で最も注目されていた「イノベーションの7つの真理」を取り入れます。

1.多様で創造的な人材を採用する
2.ブルーオーシャン市場に進出する
3.顧客第一
4.破壊的イノベーションを試みる
5.オープンイノベーションを推し進める~多数派が持つ知恵に耳を傾ける
6.全方位のイノベーションを探る
7.イノベーション文化を築く

どこかで聞いたような話ですね。これまでデンマーク人で中枢を占め、レゴブロックだけで成長してきたこの会社にとっては、テレビゲームなど様々な競合が現れる中、非常にタイムリーな戦略でした。

少なくとも、当時は皆そう思ったのでした。

「7つの真理」の落とし穴

しかし、一言でいえば、この「イノベーションの7つの真理」戦略は大失敗で、2003年には大幅な赤字を計上し、一時は身売り、あるいは倒産の噂さえ流れたほどです。その理由は「イノベーションがない」ことではなく、「利益を生むイノベーションがない」ことだったのです。

2013年に発刊され、こうしたレゴの成功と失敗の歴史をつづった『Brick by Brick(邦題:レゴはなぜ世界で愛され続けているのか)』では、「イノベーションの7つの真理」の落とし穴にはまっていったことが分析されています。

1.多様で創造的な人材の採用する――レゴは自社の価値観に合わない人材を採用したばかりか人材間の連携を取らなかった
2.ブルーオーシャン市場に進出する――自社の強みのない市場で急拡大をはかった
3.顧客第一――分散したターゲット層のすべてを取り込もうとし中途半端になった
4.破壊的イノベーションを試みる――的が絞れていない新規事業に多額の投資をした、また新規部門の「特別扱い」が社内にあつれきをもたらした
5.オープンイノベーションを推し進める~~多数派が持つ知恵に耳を傾ける――効果的なフィードバックを得られないまま「悪貨は良貨を駆逐」するように、レベルの低い意見が集まった
6.全方位のイノベーションを探る――可能性ばかりが強調され、誰もお互いに厳しい意見を言わなくなった(グループシンクの典型です)
7.イノベーション文化を築く――チームは孤立し、反対意見は許されず、「何でもあり」の文化が築かれ、資源が浪費された

見失いがちな自社の本当の強み

これと似たような、イノベーションを中心とした多角化の失敗は多くの企業で見られます。もっと言えば、多くの「優良企業」で見られます。フォード、IBM、ゼロックス……そしてその再建策も非常に似通っています。この場合でいえば「レゴらしさを取り戻す」ことでした。言い換えれば、いつの間にか「レゴ」というブランド力を過信して、様々な多角化を同時並行的に進めることでレゴの本当の強み・ユニークネスがわからなくなっていたのです。「スケベ心」という言葉が適当でなければ「おごり」と言ってもいいでしょう。

実はレゴの強みは部品の共有度、つまり新しい商品・セットが出ても、そこに入っているブロックの80%は定番だと言われていますし、結果として以前のセットと合わせて使えることで、規模の効果を享受し、また顧客にとっても発展性を提供できていたのですが、「創造」という言葉につられて、そうした強みを単なる「制約」とみなすことで自分を見失っていたのです。

多角化自体は間違いではありません。問題は、日本企業でもよく見られますが、「流行」を追いかけすぎ、「自社の原点、強み」をおろそかにすることなのです。なのに「自社には強みがあるから成功するだろう」と気づかないうちにスケベ心に支配されているのです。

「強み」とは、ある意味「制約」です。「強い」=「何でもできる」ということでは決してなく、自分の土俵に上がった時に勝てる、逆に言えば自分の土俵に上がらなければ勝てないのです。そして、多くの芸術家も指摘するように、本来創造とは制約があってこそ生まれるのですが、それをいつの間にか忘れてしまうのです。

清水勝彦(しみず・かつひこ)
慶応義塾大学大学院経営管理研究科(ビジネス・スクール)教授
1986年東京大学法学部卒、94年ダートマス大学エイモス・タックスクール経営学修士(MBA)、コーポレイトディレクション(プリンシプルコンサルタント)を経て、2000年テキサスA&M大学経営学博士(Ph.D.)。同年テキサス大学サンアントニオ校助教授、06年准教授(テニュア取得)。10年から現職。近著に「実行と責任」「戦略と実行」(日経BP社)などがある。

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

[日経Bizアカデミー2016年3月29日付]

「バカな」と「なるほど」

著者 : 吉原 英樹
出版 : PHP研究所
価格 : 1,404円 (税込み)

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