ハレー探査機の打ち上げ準備

大学院に進学してまもなく、ハレー彗星(すいせい)に向かう探査機の検討が始まった。

1986年にやってくるハレー彗星に照準を合わせ、日本初の惑星探査機(開発コードMS-T5、後のさきがけ)を打ち上げようと準備が始まりました。欧露もそれぞれ探査機を打ち上げて国際共同で観測する計画でした。

商業衛星の打ち上げを担当する宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)とのすみ分けで、それまで宇宙研のロケットは直径1・4メートルまでと決められていました。しかしハレー彗星を目指すにはもっと大型のロケットでなくてはいけません。その制約を超える直径1・65メートルの新型ロケット「M3S-II」の開発を始め、学生の私も開発に乗り出しました。

当時の宇宙研は年に1回人工衛星を打ち上げて喜ぶレベルで「惑星探査機なんてできるわけがない」と思っても不思議ではない状況でした。しかし変人たちは「こういうロケットを作ればできる」と文部省に説明して通してしまう。できない理由ではなく、できる理由をさがすという文化は、はやぶさの成功にもつながったと思います。

さきがけではロケットの開発とともに、軌道計算や飛行計画を担当しました。ロケットの性能を決めるため、メーカーとの打ち合わせなどにも参加しました。学生なのか、職員として働いているのかわからないような状態でした。

博士課程を修了する頃が打ち上げの直前です。そのまま宇宙研の助手に採用されましたが、学生時代と変わったのは授業料を払う側からもらう側になり、発射場のある鹿児島県や秋田県へ出張に行けるようになったことくらいでした。

[日経産業新聞 2020年4月28日付]

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