アニソンはブームを越えて 仕掛け人は元レイジー
バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(1)
幼少の頃に自宅前で(大阪市住吉区)
市場規模が膨らんだ「アニメソング(アニソン)」ビジネスの立役者の一人がバンダイナムコアーツの井上俊次副社長です。1970年代にロックバンド「レイジー」で一世を風靡しました。井上氏の「仕事人秘録」の第1回では、自らの生い立ちについて語ります。
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南部の住吉区に生まれました。住吉大社という大きな神社の近くで、本当に住宅ばかりの下町です。おやじは中小企業の経理部に勤めるサラリーマン。母は編み機が得意で、どこからか頼まれては内職してました。僕のセーターも作ってくれましたね。家にお風呂がなかったので、近くの銭湯に通ってました。3つ上の兄貴はおっとりタイプ。次男のぼくは、おばあちゃん子。よくある普通の家庭で、音楽的な要素はまったくなかった。
幼稚園のころは車が好きでブリキのミニカーで遊んでいました。寝てるおばあちゃんの背中にミニカーを走らせて。いつもおばあちゃんの部屋に入り浸ってぐーたらしてました。近所の友達が玄関先で「俊ちゃんあそぼー」って呼ぶんです。すると祖母が「俊次は寝てるー」って勝手に追い返しちゃうんです。
小学生になると活発になって、自宅前の広場で野球をやりだしました。わりと体の大きい子どもで、整列すると後ろから2番目。小学校6年生で身長が162センチメートルです。信じられない話ですが、いまの身長が161.5センチメートルでなぜか当時の方が高かった。だから中学校で野球部に入ると期待の大型ルーキー扱い。ポジションはピッチャーです。