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異国の地へ渡った子供たち。遠い東洋の国。祖国とはいえ、全くの見知らぬ地。

学校へ行けば、理解のできない言葉が飛び交う。

日本語が分かるようになって落ち着いたと思ったら、母国へ。そして新生活のペースになじんだと思ったら、また、日本へ。

愛知県知多市立つつじが丘小の子供たち(右から2番目がニコラス君)

愛知県知多市立つつじが丘小の子供たち(右から2番目がニコラス君)

親を選べぬ彼らの運命は、大人たちに翻弄される。

翻弄される移民家庭の子供たち

幼いころ、日本とブラジルを行き来し、3月に愛知県の高校を卒業した山本マキコさんははっきり言った。

「子供にとって、行ったり来たりは、決していいことではない」

ある小学校に不登校になった外国人の児童がいたそうだ。

当初、理由ははっきりしなかったが、家庭の様子をみると、毎朝子供が学校へ行く前に、親が仕事のために家を出ていた。当然子供は、1人で朝ご飯を食べ、1人で支度をして、家のカギをかけ、学校へ向かうことになる。

寂しさが原因では、という一つの結論に至ったとき、理解を示したのは、親の勤め先だったそうだ。

「そういう事情があるなら、遅れてきても構いません。子供を見送ってあげてください」

それは、その親が会社から信用されていることを意味し、多くの外国人は勤勉で、勤務先からも貴重な労働力と見られていることを、教えてくれる。

このケースでは、子供が不登校という形で意思を示したものの、一体どれだけの移民家庭の子供が、訴える術(すべ)さえ知らぬまま、寂しさと向き合っていることか。

寂しいだけではなく、学校に行けば、今度は言葉の不自由に身をこわばらせる。

紹介する子供たちは、今でこそ笑顔を見せるが、例外なく苦しい時期をくぐり抜け、成長してきた。

ニコラス君はクラスの人気者だ

ニコラス君はクラスの人気者だ

日系ブラジル人ら、移民の多いことで知られる愛知県知多市。この春、地元の八幡中学校に入学するニコラス君は日本語の会話に不自由しない。中学で外国人の子弟を対象とした日本語適応教室に通う予定はなく、小学校でも特別扱いを必要としなかった。

ブラジルから日本にやって来たのは、本人の記憶によれば、「5~6歳のとき」。小学校入学まで1年ほどしか時間がなかったことになるが、その間に、なんとか日常会話ができるようになったそうだ。

どうやって勉強したの? そう本人に聞くと、「公文をやった」と話した。

母親が、子供が小学校に入っても苦労しないようにと、公文に入れて日本語を覚えさせたのだという。ニコラス君の努力もすごいが、息子を日本に適応させたい、という母親の意識の高さにも驚く。

多くの外国人の親には語学のハンディがいじめに結びつくのでは、という懸念がある。ニコラス君の母親は、その不安の芽を早い段階で摘もうと考えたのだ。

しかしながら、すんなり小学校になじめたかといえば、本人自身「小さいころは、やんちゃだった」と振り返り、不安定な時期もあったよう。

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