「鉄拳」から「太鼓の達人」へ ヒット量産の舞台裏
バンダイナムコホールディングス 元会長 石川祝男氏(9)

他社の格闘ゲームを追い抜こうと開発した「鉄拳」の画面 (C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
2018年6月にバンダイナムコホールディングスの会長を退任した石川祝男氏は、文化の異なるバンダイとナムコの経営統合に誰よりも前向きで、両社の文化融合に尽力しました。石川氏が社員に伝え続けた「元気よく暴走しなさい」というメッセージでした。その石川氏の「仕事人秘録」。第9回では「鉄拳」や「太鼓の達人」などのヒット作を生み出した舞台裏を語ります。
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34歳で管理職になり、開発手順を見直し
私の仕事は、いかに良質の企画を部下に出させるかに変わりました。ただ、自分で企画書は書かなくても、アイデアは出し続けました。チームが少人数だったため、私が発案の企画も多くありました。
ゲーム機「ワニワニパニック」がヒットした経験から、開発の手順を見直しました。これまでは試作機を仕上げるまでに企画をかなり練り上げていましたが、まずは簡単な試作機を作るようにしました。
現場で試して、おもしろさを体感
みんなで実際に遊び、評価して、製品化するものを絞ります。多くのアイデアが形になり、書面では伝わりづらいものも、実際に遊んだ感覚で判断できます。失敗した「ドキドキギャルゲーム」は企画書では面白いと判断されました。これとは逆の発想です。
その当時、アミューズメント業界は施設数が増え、市場規模も右肩上がりに拡大しました。ナムコも従業員が急増し、業務内容も多様化したため、開発部署を再編しました。
私が率いた部署からは格闘ゲーム「鉄拳」などが生まれました。当時、競合他社は「バーチャファイター」や「ストリートファイター」で先行していました。ナムコでこれ以上のゲームを作ろうと奮闘していた中から生まれた鉄拳はとても印象に残っています。