私にとっての「散歩の効用」

ほかにもいくつか「特殊な事情」を思いついたが、「いい加減にしろ!」の声が聞こえて来そうだから、これぐらいにしておく。これら「よほどの事情」でもない限り、彼の「散歩スマホ」は非難されても仕方がない。

私のような「犬バカ」は結構いるものだ。「散歩スマホ男」を目にした途端、我が愛犬を抱きしめ、「かわいそうな同胞(引きずられるワンちゃん)」を見せないようにする人の姿は、そこここで見られる。

私の散歩スタイルは「彼以外」の多くの愛犬家とほぼ一緒だ。散歩中は、飼い始めて2年弱のトイプードル「レオ」に話しかけ、その日にあったこと、今後のことについて相談し、即興で「レオ君音頭」を歌って聞かせる。ここまで書いて、「多くの愛犬家とほぼ一緒」とは必ずしも言えない気もしてきた。

散歩というのは、大好きな犬と時間を共有し、犬と語り合うなかで、「自問自答」を繰り返し内省を深める、極めてぜいたくで貴重な時間だというのが私の考えだ。散歩コースの一つである、某キャンパスの高台から、眼下に広がる街の夕焼けをレオと一緒にめでるひとときはたまらない。

いい年になってと、笑われそうだが、「愛する喜び」を実感することによって、新たなエネルギーが湧いてくる。犬の見る先を一緒に見つめ、浮かび上がるアイデアも少なくない。

「散歩スマホ」はこれら全てを台なしにする。飼い主が得られるのは、「ウォーキングの歩数」と暇つぶしに眺める「勝手に送られてくる薄い情報」(梶原の偏見)だけというのでは、あまりにもったいない。スマホに夢中で「犬の声」に耳を貸さず、犬との会話もなく、強引に引っ張り回すのは、一種の虐待だと感じてしまう。

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心を打った「犬と私の10の約束」
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