「横綱までいく」と誘われ、中2で二所ノ関部屋へ
元プロレスラー 天龍源一郎氏(2)

二所ノ関部屋に入門した天龍氏(左)、右は横綱・大鵬(1963年12月)=東京スポーツ新聞社提供
「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。第2回は生い立ちと、大相撲の二所ノ関部屋に入門する経緯について語ります。
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昭和25年(1950年)2月に福井県勝山市に生まれた。実家の嶋田家は葉タバコを栽培する農家。幼少期から体は大きく、スポーツが大好きだった。
お袋と専売公社の葉タバコ指導員のおやじが農業をしていました。兄弟は妹と弟。親が出かけているときは子守もしていましたね。
遊ぶとなれば、仲間と野球をしたり、夏は近所の九頭竜川で遊んだり。冬は長靴で滑る簡易スキーです。
小学校高学年にもなると「農業の手伝いをしろ」と言われる。学校を休んで田植えの手伝いです。学校が好きだったわけじゃないけど、理不尽な気がして、自分が不憫(ふびん)で悔しかったのを覚えています。
当時はほとんどのスポーツにかり出されました。砲丸投げにリレーの選手。中学校に入ると柔道部や野球部にも。なかでも相撲は楽しくて、小学5年生からは中学生に負け無し。13歳で身長179センチメートル、体重が71キログラムありました。
ある日、大鵬さんがいた二所ノ関部屋の地方後援者が新弟子を探しているとき、たまたまおやじが「うちの子は大きいよ」と話したらしいです。それから知らない人が僕の顔を見に来て、不思議な感じでしたよ。
63年、中学2年の夏休み。二所ノ関部屋の後援者の誘いで、初めて相撲部屋を体験する。
部屋に着くと、幕内力士は巡業中でいません。僕が13歳で周りは15、16歳が多くて、上でもせいぜい18歳くらい。子供ですよ。適当な時間に起きて1時間稽古。夜は兄弟子が「おい浅草に連れていってやる」「錦糸町を見せてやる」と連れ出してくれました。
状況が激変したのが夏休み後半。ちょんまげを結った、日焼けした人たちが巡業から帰ってきて、途端に午前3時に起こされました。
稽古中、あの人弱いなと思った人がいて。「あんちゃんちょっと」と呼ばれます。勝てるかなと思ったら0コンマ1秒か2秒で羽目板にバーンとぶつけられる。とてもじゃない。「大相撲はすごい」と思ったのが正直なところです。