洋食店、自己流経営で出足散々 卒論と二足のわらじ「サイゼリヤ」創業者 正垣泰彦氏(4)

ですが、料理の知識は全く分からない。西洋料理の本を買いあさることにしました。店に入った初日にもとのフルーツパーラーにいたコックにスパゲティの作り方などを教えてもらうと、そのコックも「あとは自分でやってくれ」とあっさり辞めてしまいました。

呼び込みとシェフの1人2役

初期のサイゼリヤでは創業者の正垣泰彦氏自らも厨房に入って料理を作った

フルーツパーラーを洋食店に変えて店名は「サイゼリヤ」で始めましたが、いくら待っていてもお客さんが来ません。駅前で宣伝用の看板を身にまとってサンドイッチマンをやることに。「うまい料理がありますよ」。そう言って帰宅前のサラリーマンを捕まえました。店に着くと看板を脱ぎ、厨房でそのまま料理を作るからお客さんはびっくりです。

朝4時に営業を終えると仕込みを行い、それから卒論のために大学に通っていました。お客さんが来ないから食材が余っていたので研究所で料理を作ったところ、うまいと話題に。それならばと、毎日研究所で調理して100円で売ることにしました。

大学に行かないまま「卒業」

お店と二足のわらじで書きたかった卒論が仕上がろうとした時、教授にその論文を提出するなと言われました。同じテーマの論文を有名な教授が書こうとしているから、というのが理由でした。

「卒論は出しますが、あとは先生に任せます」。そう言って学校に行かなかったので、卒業したか分かりませんでした。どちらでも良かったのですが、上場前に経歴を確認する必要があり、調べると先生がちゃんと卒業させてくれていました。

お店はというと、私がいない時の運営はぼろぼろ。従業員がカレー粉と間違えてマスタードを入れたり、カツ丼のタレでアイスコーヒーを作ったり。幸いお客さんから苦情は来ませんでしたが、訪れるのは1日10人未満。つけ払いのお客さんも払うころにはいなくなる。「こりゃあもうからないな」と散々でした。

開店から9カ月後の1968年、そんな状況で事件が起きました。やくざ同士のけんかがもとで、火事で店が全焼してしまったのです。

[日経MJ(流通新聞)2018年4月13日付]

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