ライフコラム

梶原しげるの「しゃべりテク」

信組金融マンから米酢の造り手に 素人が見込まれ転身

2018/9/13

信用組合で働いていた戸塚治夫さんはゼロから米酢造りを学んだ

戸塚醸造店(山梨県上野原市)の経営者、戸塚治夫さんは2018年に完成させた、念願の新工場での「米酢造り」で多忙な日々を過ごしている。見た目は30歳代半ば、実際は40歳代後半だ。

梶原「若く見えますねえ!」

戸塚「マラソンと、うちで造っている米酢のせいかもしれませんねえ」

「走る醸造家」とも呼ばれ、年間7、8回のマラソン大会を完走する戸塚さんの仕事人生は、学校卒業と同時に就職した地元・山梨にある信用組合のサラリーマンとしてスタートした。

戸塚「地元企業の皆さんに顔を覚えていただくため、お店、事務所、工場など、あらゆる事業所に足繁く通いました」

フットワークを生かした、まめな営業が徐々に認められ、経営規模拡大のための資金調達や新規の事業計画など、様々な相談をもちかけられるまでになったようだ。

■いきなり訪れた人生の転機

「金融マン」としての順調な日々が続いた。ところが、30歳を過ぎ、別の支店への転勤を命じられたときのことだった。ごあいさつ回りでうかがった工場のオーナーさんとの出会いが彼の人生を変えることとなった。

工場のオーナー「私は歳も70を超え、最近は、体調もすぐれない。どうやら近近入院することになるかもしれない。それに自分には事業を継承してくれる跡取りもいない。要するに、これ以上、この工場を続ける自信がないんだ。そこでだ、あんた。どうやったらうまく廃業できるか、教えてくれないか?」

「ごあいさつ回り」がいきなり深刻な相談となり、少々ビビったようだが、「こういう時こそ、お客様の話に耳を傾け、自分に何ができるか、知恵を絞るんだ」。そう自分に言い聞かせるようにしたらしい。

工場オーナーの話によれば、その方(長谷川邦夫さん)の工場は、昔ながらの甕(かめ)仕込みで造る純米酢の伝統を守り続けてきた、関東地方では今や唯一の、全国でも数少ない醸造場なのだという。戸塚さんは、長谷川さんが口にした「廃業の方法を教えてくれ」という言葉の裏に「何とか続けたい」という気持ちを強く感じた。そして、自分に何ができるかを必死で考えた。

工場の、そして何より長谷川さんの身体のことが心配だった。その日から、戸塚さんは時間があれば、醸造所に顔を出した。

従業員のおば様たち(平均年齢70歳前後)ともすっかり仲よくなった。少しずつ現場の手伝いをするようにもなった。

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