働き方・学び方

暮らしを変えた立役者

米産牛肉、BSEで禁輸に 外食代表で農水相に直談判 すかいらーく元社長 横川竟氏(16)

2018/4/13

2003年に日本フードサービス協会の会長に就任した(左は前会長の小嶋淳司氏)

 すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第16回は米国で発生したBSE(牛海綿状脳症)に伴う牛肉輸入問題に直面した時期について振り返ります。

◇  ◇  ◇

 グループの仕入れ会社のSGMを作ったのが1993年のことだ。規模も50人にまで増やし、グループの未来のバイヤーを育てようと意気盛んだった。利益も出てのびのびと挑戦していた。

 バイヤー教育には目先の利益ではなく、幅広い視点を持つための実践が欠かせない。原点と言えるのが、すかいらーくで77年から扱ってブランド化した「夕張メロン」だ。

 北海道に出張し、コーンスープのとうもろこし畑で商談をして帰る途中、農家の庭先にあった「キングメルティ」というメロンに目をひかれた。完熟したものを空輸するためとてもおいしく、大ヒットした。

 質の良いブルーベリーをジョナサンに仕入れたのは、カナダでのゴルフがきっかけだった。通りかかった畑のブルーベリーを見逃さなかった。数多く地方や海外へ行き、遊んだり、仕事をしたりすることが面白いモノとの出会いにつながる。これは今も変わらない信念だ。

 ところがSGMは途中から社内で厳しい批判を受けるようになる。取引先とゴルフをすることは社内規定で禁止されていた。ただし事前に報告すればいいのだが、手続きを怠った社員がいた。結局、これがきっかけでSGMは解散に追い込まれた。社員は、すかいらーくやジョナサンなど自分の出身会社の仕入れ部に戻っていった。これも苦い思い出だ。

 97年に外食の業界団体、日本フードサービス協会(JF)の副会長に就任した。もし会長になるとしたら、業界のために専念したい。そのときには社長を誰かに任せようと決めた。

 そこで5年をかけて社長を選んだ。5人の候補者を18カ月ずつ、営業、人事、財務と経験させて社長としての適性を見きわめた。数字的な実績、何をどのように変えたか、部下に対してはどう接したかなどを基準とした。残り1年で2人に絞ってオーナー会に人事提案し、矢代秀己を選んだ。

 後の話だが、2012年1月にジョナサンはすかいらーくに吸収合併された。それまでも合併の話は何度かあったが、私は別会社だからこそ違いを出せると考え、振り払い続けてきた。今でも残念でならない。この頃のすかいらーくは不安定で、ジョナサンが出していた年間30億円の利益を取り込みたかったのだろう。

 それはともかく03年にジョナサンの会長になり、JFの会長に就任した。実はのっけから難題が待ち受けていた。米国でのBSE(牛海綿状脳症)発生に伴う牛肉輸入問題だ。

 政府は禁輸措置に踏み切った。私はJF会長として農林水産省を訪れ、時の大臣と話し合った。「徹底検査して安全が確保された肉だけの『部分輸入』を進めてほしい」とお願いしたところ、大臣から「前向きに検討する」との返事をもらった。

 だがJF内部で「部分輸入を進めた結果、先々の輸入量が少なく固定されては大変。一旦禁輸はやむを得ない」との意見が出た。早期に輸入は再開されるだろう、成り行きに任せた方がいいとの判断になり、私は先の農水相への依頼を取り下げた。だが結局、米国産牛肉の輸入が正常化するのに10年かかってしまった。

[日経MJ(流通新聞)2016年10月14日付]

※「暮らしを変えた立役者」は金曜更新です。

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