岡永からツケでしょうゆなどを仕入れ、ご用聞きもやった。例えばとんかつ屋へ営業に行くと初めは煙たがられる。日参しているうちに「うちのとんかつソースは濃いから容器から出にくい。何かいいソースはないか」と聞かれ、「はい、あります」と即答する。
実は何のアイデアもない。そこでとんかつソースとウスターソースを混ぜて「とんかつ中濃ソースです」と持って行ったら採用される。「オヤジさん、これは振らないとソースが分離してしまうから使う前に振ってね」と忠告した。築地からも仕入れて品ぞろえを豊かにし、売上高は3万~4万円にまで拡大した。
築地の経験からメーカーの人間はよく知っているので、利ざやを抑えたことも大きかった。当時は問屋がけっこうもうけていたので、注文はうなぎ登りで増えていった。ところがある日、腹の突き出たおじさんが店にやってきて「この店のオーナーは僕になったから引き続きがんばって」と言う。服部さんは知らぬ間につるや商店を売却してしまっていた。
[日経MJ2016年7月1日付]
※暮らしを変えた立役者は金曜更新です。