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お荷物といわれた外食産業が会社の核の一つに成長

お荷物といわれた外食産業が会社の核の一つに成長

九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第6回は不慣れな外食ビジネスに携わった時代について語ります。

――海から陸に上がり、次なる相手は食に。

4年間船舶事業部にいた後、1993年4月に辞令が下りました。職場は「我が社のお荷物」と言われた外食事業部。売上高が25億円に対し、8億円もの営業赤字と苦しい状況でした。私は次長でしたが部長は流通事業本部の部長を兼務しており、専任では実質トップ。「とんでもない所に来た」と頭を抱えました。

赤字の原因は店舗を見ると一目瞭然。まず古くて汚い。食欲が湧くメニューもない。何より従業員がつまらなさそうに淡々と働くだけ。活気がないから、店舗は死んだに等しい。「人が真剣に悩む時ほど笑わせたい」。そんな大阪人だからか、元気がない店を無性に変えたくなりました。

着任すぐの店長会議でがっかりしました。ネクタイを締めた店長はわずかで、無精ひげなど店長自身に活気がない。経営効率化で鉄道の余剰人員が他の事業に回されており、「自分は追い出された人間だ」とやる気を失う人が多かった。まずは店長改革からだ。

最後の締めのスピーチは私の担当。キーワードは決めていました。「我々外食軍団は今こそ立ち上がりましょう!」。軍団の言葉に店長はぴくっと表情を変えました。店長は戦力外の人間ではない。大赤字を黒字にする厳しい戦いに勝つ集団の要と訴えたのです。直後の懇親会。「唐池さんについていこうじゃないか」。先制パンチを受けた店長は目の色を変え始めました。

――反撃が始まった。

どんな戦もまずは足場固めから。店長を毎月集めて原価率のコントロールの仕方など外食経営のいろはを一緒に勉強しました。社員4人を大阪の焼鳥屋に修業に行かせて鍛え、半年後に外食軍団の初陣を迎えました。博多駅と宮崎駅の駅前に居酒屋「驛亭」の新店を一気に出店したのです。

午前11時。開店と同時に大混雑。状況観察のために外に陣取っていた私も一兵卒として料理を運んでいました。まだ安心はできない。本番は夜。ここでも30分で満席に。店長がリズムよく焼き塩を振りかける。姿はセクシーでうっとり見とれるほど。修業の成果で初日から売上高50万円超も稼ぎました。店舗に活気があると、勝ち戦が続く。やはり外食経営のメシは"気"です。

翌年は従業員をパートなどに徹底して置き換え、2年目を終えると赤字は2億円に減少、筋肉質な軍団に変わってきました。95年夏、JR九州の役員合宿。私は「黒字を達成すれば分社化したい」と訴えました。お荷物事業が核の一つと証明したかったのです。1千万円ですが黒字を確保し、96年4月にJR九州フードサービスが誕生しました。

初代社長として1年目も黒字にし、本社の経営企画部長に就きました。ですが、外食に直接関わることはないと思っていた3年後、田中浩二社長に突然呼び出されました。「フードサービスの社長に戻ってくれ」。まさか外食人生第2幕が開けようとは。

[日経産業新聞2016年4月20日付]

仕事人秘録セレクションは金曜更新です。次回は2017年10月13日の予定です。

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