3カ年計画、「新人」が作成 自ら実行する立場に
日本マイクロソフト社長 平野拓也氏(下)
ソフトウエア会社の日本法人社長を経て、2005年に日本マイクロソフト(MS)に転職する。
5年間経営者を務めた後、MSで部下なしのビジネス&マーケティング部門のシニアディレクターになりました。役割は3カ年の成長戦略を描くことで、期限は3カ月足らず。"新人"の私に任せるとは無謀です。力を試されたのか、会社全体を学ばせる意図があったのかもしれません。私も「作ってやろうじゃないか」と思っていました。
入社して数週間後の役員プレゼンテーションは、自分でも何を話したか覚えていません。後で社長が「残念だった」と漏らしたと聞き、苦い気持ちになりました。
社内を駆け回りひたすら話を聞いた。
3カ年計画を策定後、サービス部門の責任者となって施策を実行した
100人以上に徹底的にインタビューしました。役員はそれぞれ深く強い思いを持ち、時に猛烈な反発に遭いました。話についていけず、自分はこんなにバカだったのかと。妻に毎日「クビになる」と話していましたが、何とかしなくてはという思いでした。
MSは基本ソフト(OS)「ウィンドウズ」だけの会社ではありません。部署は多岐にわたり、それを製品軸、顧客軸などと組み合わせると膨大なパターンになります。顧客が最も満足し、MSが成長できる案を日々学びながら作りました。
インタビューを重ねるなかで共通のテーマを見つけ、海外支社の成功モデルや日本法人を分析し、成長に向けた11の重点領域を定義しました。
何十もの案から絞り込み米国本社でのプレゼンに臨んだ。
米国へ向かう機中でもさらに見直しました。最高経営責任者(CEO)が大枠を認めた後、ある役員からは「数字を変えたとは聞いてない」と思い切り怒られました。
苦労しましたが、ワクワクする日々でした。助けてくれた人も多く、頼れる仲間を得ました。短いながら現在の基礎を作った強烈な3カ月間でした。
3カ年計画を策定後、自身で計画を実行する。
コンサルティング保守の担当役員になり、自らが計画を実行する立場になりました。運良く、大きな成長を実現できました。
20~30代は徹底して働きました。それが私の選択でした。人生の中でそういう時期はあります。ただ、それを続けていてはだめです。ワークライフバランスではなく、ワークライフチョイスが大事なのです。
2005年、米マイクロソフト(MS)は最高執行責任者(COO)を米小売り大手のウォルマート・ストアーズから迎え入れるなど転換期を迎えていた。現場の業務改善や企業向けサービスでの成長を模索するなど、基本ソフト(OS)頼みの従来の事業構造を見直した。