アイルランドは古くからキリスト教布教のヨーロッパの中心の一つであり、多くの修道士達がアイルランドから海を渡って大陸ヨーロッパに宣教の旅に出かけた。アイルランドのキリスト教は独自性が強く、また大きな影響力を持つ存在だったのだ。
一方、大陸ヨーロッパからは、ゲルマン民族の大移動をきっかけに起きた動乱の時代に多くの聖職者や学者がアイルランドに避難して来た。
このような背景なしでは、アクアヴィテ存続のため、赤ワインからエールへの大転換を神が許すという判断は成し得なかったのではないかという仮説にたどり着いたのだ。
穀物原料の蒸溜酒、ウイスキーの誕生である。

この結論に至る考証を本にまとめ、2010年『ウイスキー 起源への旅』というタイトルで出版した。そして、アイルランドについての勉強不足を贖罪した。
このアイルランドからイングランドやスコットランドにキリスト教が伝わって行く。蒸溜法ももちろん一緒であったに違いない。
修道院-エール-アクアヴィテの関係を明確に示してくれるのが、スコッチウイスキーに関する最古の公式記録、1494年のスコットランド王室の出納簿である。
原本はエディンバラの中央登記所に保管されていて、閲覧できる。

子牛皮の巻物にラテン語で書かれているのは「王の為にアクアヴィテをつくらせるので、修道士ジョン・コーに麦芽を支給」の文章である。ジョン・コーが籍を置いたのはリンドース修道院であったことが判明している。そこで信仰生活を送りつつ、エールからアクアヴィテづくりを行なっていたのだ。
エディンバラから直線距離で北に50キロのところにあったが、残念ながら今に残るのはその廃墟である。代わりと言っては何だが、最近隣接地にクラフト蒸溜所ができている。
アクアヴィテづくりは、修道院や教会、王侯貴族、大地主、薬屋、理容師にしか認められていなかった。そこに起きた宗教改革で教会や修道院が閉鎖され、伝承されてきた蒸溜技術が解放されたことも、アクアヴィテの大衆化、ウイスキー化が進む大きな契機となったとも言われている。
アクアヴィテはラテン語からゲール語へ変換されてウスケバーとなり、その後発音しやすいウイスキーとなった。1600年代初頭のことであったようだ。この変化こそ、ウイスキーが酒として広がっていったことを表していると思われる。
ここまでは、アイリッシュとスコッチに大きな違いはなかったと言ってよい。実はこの後、驚愕するようなことが二つのウイスキーに起きるのである。次回、何が起きたか紹介したい。

前回はスペイサイドモルト、マッカランを紹介した。
今回紹介するのはスコッチブレンデッドのバランタイン17年ミルトンダフエディション。ミルトンダフとは、バランタインに使われているキーモルトの一つであり、ミルトンダフ蒸溜所はスペイサイドの北西にある。
実はこの蒸溜所はプラスカーデン修道院という現存するベネディクト派の修道院の敷地の中にある。仕込水を取水しているブラックバーンと呼ばれる小川の水は、1230年の創設時からこの修道院がつくっていたエールの仕込水に使われていた。
そしてそのエールはスコットランド一おいしく、しかも薬効があったと伝えられている。リンドース修道院隣接の蒸溜所の原酒も楽しみだが、一足早くこのバランタインでアクアヴィテからウイスキーへの変遷を想像してみては如何だろうか?
(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)