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「Sunset通り」オープンの日、後輩と店舗前で(右が本人)

「Sunset通り」オープンの日、後輩と店舗前で(右が本人)

キリンビールの布施孝之社長の「仕事人秘録」。第4回はレストラン経営に打ち込んだ1980年代を振り返ります。

――神戸市の三宮にあるレストランをリニューアルオープンさせる

神戸支店の特販課時代の後半はレストランの経営に夢中になりました。「キリンビールの社員がレストラン経営なんて」と変に思われるかもしれません。理由はこういうことです。

1987年、神戸支店の取引先の1つだった、三宮の阪急百貨店がやっている古いレストランを改装しようという話が持ち上がりました。広さは140坪(約460平方メートル)の地下街の店で、おじいさんとおばあさんのオアシスといった風情の店でした。ここを思い切って改装し、キリンと阪急百貨店が共同経営で20~30歳代をターゲットにした新しいタイプの店を経営しようということになったのです。

その店の担当になったのが私でした。そうなると猛勉強です。キリンが出店していた東京・六本木のビアホール「ハートランド」、原宿の大皿料理店DOMAで店の切り盛りの仕方を一から教えてもらいました。

そして88年4月、店がオープンします。名前は「Sunset通り」。看板は小さくし、お客さんが「自分がみつけた自分だけの店」と思ってくれるようにしました。口コミで広がっていくことを期待したのです。

しかし散々でした。固定客からは見放され、新しい客は来てくれません。当然、赤字続きです。店の運営は神戸支店でしたから赤字は支店の負担です。最初は「まあ、仕方ないな」と笑っていた支店長も、段々不機嫌になってきて「チラシでもまけ」などと言ってくるようになりました。

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