ようやく見えた歴史の奥深さ
防衛大学校長 国分良成氏
防大は戦後の民主主義下の士官学校として戦前の体制を一新して誕生しました。当時の首相、吉田茂の下で初代校長に就いたのは、慶応義塾長を務めた小泉信三が推薦した政治学者、槇智雄でした。
こくぶん・りょうせい 1953年東京生まれ。81年慶応大博士課程修了。同大法学部教授、東アジア研究所所長、法学部長などを経て2012年から現職。
英オックスフォード大で政治思想を学んだ槇は、小泉の片腕として慶大日吉キャンパスを建設しました。総合的な人材を育む英国の「リベラルアーツ・カレッジ」への思いが強く、防大では将来の幹部自衛官が備えるべき広い視野、科学的見方、豊かな人間性を育てる教育に力を注ぎました。著書『防衛の務め』は槇イズムとして今も読み継がれています。
5年前に慶大から防大に来て驚きました。慶応の創立者、福沢諭吉の精神を感じたのです。幹部自衛官にも福沢ファンは多く、最近の方が福沢の書を読む機会が増えました。
著書『学問のすゝめ』では「一身独立して一国独立する」「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」と記しました。福沢は合理主義と抵抗の精神を持つナショナリストですが、自立した個人をつくることで国も自立すると考えました。
冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が有名ですが、その後に多くの示唆に富む記述があります。「人にして人を毛嫌ひするなかれ」。最終第17編の締めの言葉は人間への温かい目が感じられて大好きです。
E・H・カーのこの著書は学問や歴史の面白さに気付くのに最適です。「歴史とは歴史家と事実との間の(中略)尽きることを知らぬ対話」。この言葉は、歴史は歴史家が選んだ事実でつくられ、大半が勝者による歴史であることを示しています。負けた者による歴史もあるはずですが、歴史家はそこを選びません。
1980年前後、中国史の大家でお茶の水女子大学長だった市古宙三が退官後に「所詮、中国史は勝者の歴史で本当なのか分からない。私は今まで嘘を教えたかもしれない」と私に話されたのは忘れられません。
確かに中国共産党が作り出した歴史には、学生らの民主化運動を武力鎮圧した89年の天安門事件はなく、多大な犠牲者を出した文化大革命の本当の様子も分からない。これは歴史ではありません。
難しかったといえば大学2年で読んだ中国研究の先人の2著作です。それは私の研究の出発点です。
ゼミの恩師で後に慶応義塾長になる石川忠雄が59年に出した『中国共産党史研究』。過去の中国政治研究は上辺を追う中国革命史ばかりでしたが、共産党の党内闘争に焦点を当てます。共産党は一つではなく、内部に色々な集団があり、政策と権力を巡る闘争の中で動くことを実証的に解明した画期的な書です。
もう1冊は64年に中嶋嶺雄が28歳で書いた『現代中国論』です。後に文化大革命の分析を加えた増補版が出ます。中国共産党と毛沢東への批判的視点は斬新でした。私は卒業論文で社会主義中国の自由と民主の問題を取り上げ、それがライフワークになりましたが、その契機は中嶋の書を精読したことでした。
中国とは何かを考える時、立ち返るのが魯迅の視点です。『阿Q正伝・狂人日記』は中国人の奥底にある土着性をえぐり出し、その価値観を批判しました。だが締め付けが厳しい最近の中国で魯迅が取り上げられる機会は少ないようです。「現代中国にいたなら鋭さ故に牢屋(ろうや)に入っていただろう」との見方もあります。
現代中国史の理解に役立つのが山崎豊子の『大地の子』です。日本人なのに中国で育った残留孤児の生き様を通して、正義を追求しています。その取材力にも感銘を受けます。
最後に『聞き書 緒方貞子回顧録』を取り上げます。学者から転じ、国連難民高等弁務官として人道支援を指揮した姿に憧れ、今でも時々お話を伺っています。緒方が満州事変を研究した出発点は首相だった曽祖父、犬養毅の軍部による暗殺事件です。冷戦時代、ある学会で机上の空論を闘わせていた面々を彼女が批判した場面に居合わせました。そこには理念に留まらず現実を重視する生き方がにじみ出ていました。
「リーダーの本棚」は原則隔週土曜日に掲載します。