今川焼、大判焼、回転焼、御座候…あのお菓子の呼び方
たこ焼き・お好み鉄板系(5)
読者のみなさんから面白い写真がたくさん送られてきた。本当に読者はありがたいものである。うれぴー。早速、紹介しよう。題して「HAMAN写真館」。
「ひかり」の「海苔巻き」・・・・・・お好み焼きを海苔で巻いてある「お好み焼きの海苔巻き」という物件がありました。外から見ると普通の海苔巻きが輪切りにされている状態なのですが食べてみると中はお好み焼きでした。神戸のお好み焼き恐るべし……
HAMANさん、どうもありがとうございました。出し汁に入ったたこ焼きが「神戸たこ焼き」という名前を獲得していることを初めて知りました。明石の卵焼きが東の神戸でこのように変容し、西の姫路でソースにまみれている。
当サイトは柳田國男の「方言周圏論」に似ていると言う方もおられるようであるが、それは違う。昔の京都の新語が長い時間をかけて地方に伝わった結果、京都を中心とする同心円状に同じような方言が残っているとする論が「方言周圏論」。だが、食べ物はそうはいかない。
明石焼きの変容の様ひとつをとっても同心円ではないし、東日本型と西日本型という二類系の説明がつかない。仮に東京から有力な食べ物が発信されても全国に伝わるとは限らない。なぜならその食べ物に使う食材がどこにでもあるわけではないからである。
前回浮上した「お好み焼きはどう切るべきか」問題。
でも、ほんとはべつに何にも考えてません。生まれたときから縦横に切って食べています。3歳児でもそうします。遺伝子に刷り込まれているんです。こんな疑問は発生する権利すらない! というのが大阪遺伝子を持つ人間ではないでしょうか?(元関西人さん)
「こて」で食べるから「こて」にのるように四角く切るのだ。と、明快である。どう切るかなんていう疑問は発生する権利すらない。と、決然としているのである。その大阪または関西に「たこ焼き定食」がない理由。
というのが大阪人の感覚であることはわかるのですが、非大阪人は思うのです。焼きそばや焼きうどん、さらにはお好み焼きとご飯が一緒でいいのに、なぜたこ焼きだけがだめなのか。すーっと納得できないのです。どれもコナモンでソース味でしょう?
多分、ニュアンスの問題だと思います。言葉の方言も他地域の人間にはニュアンスまでなかなかわからないものです。食の方言も同じではないかと思っています。それゆえに面白いのですが。
お好み焼きを割りばしにくるくる巻いた「箸巻き」。九州発祥説もあれば……。
こちらの「どんたく」の夜に、もっと直接的なネーミングで売られていたその「コナモノ」に再会し、思わず買い求めてしまいました。生焼けで大変がっかりしましたが……。
その昔、マンガ「クッキングパパ」で、荒岩主任(当時)が母校の大学の模擬店で、女子大生に「箸巻き」の作り方を教えていたことを突然思い出しました。あのころは、まさかその土地で暮らすことになるとは夢にも思いませんでしたので(willowさん)
うえやまとち氏は福岡の出身。そのうえやま氏が作品の中で「箸巻き」を紹介している。氏が言うように福岡発祥なのだろうか。willowさんが山形でご覧になった「箸巻き」は福岡から伝わったものなのだろうか。NHKの塩田さんから「箸巻きというのは山形のどんどん焼きのことでは?」というご指摘があった。そこで「どんどん焼き 山形」で検索すると、「どんどん焼き」の専門店を紹介するサイトにぶつかった。写真で見る限り私が知っている「箸巻き」と同じである。山形のものには魚肉ソーセージが入るのだが、「どんどん焼きは山形に古くからあるジャンクフードでありソールフードだ」と書いてある。
「古くから」がどの程度古いのかわからないが、九州発祥説は果たして安泰なのか。このような屋台系、お祭り系の食べ物は誕生の経緯がはっきりしない物件が多いので、断定は難しい。
デスク自宅でごそごそ ええっと、ありました。ありました! 講談社のモーニングKC「クッキングパパ」の第11巻に「巻いて巻いてお好みバー」というタイトルで掲載されております。ここでは、残ったおでんダネを箸に刺し、これにお好み焼きを巻くとなっております。佐賀付近が発祥だそうです。
ところで、山形の「どんどん焼き」が出たところで、東京の「どんどん焼き」を。
お好み焼きの祖先。屋台でドンドンと太鼓をたたいて売り歩いたから、この名がついたとか。明治、大正、昭和の東京、とくに下町で人気があった。例によって『たべもの起源事典』を開くと「具材には牛肉、豚肉、卵、干しエビ、切りイカ、揚げ玉、キャベツ、タマネギ、こしあん、食パンを用いる。ひしゃく、大きなハサミ、厚手の返しで鉄板の上に作り出す。牛てん、イカ天、パンカツ、カツレツ、オムレツ、キャベツボール、あんこ巻き、おしる粉、餅てんに人気があった」。
中にはどんな食べ物かわからないものもあるが、「あんこ巻き」が出てくるところが興味深い。東京のもんじゃの店やお好み屋さんにあるあんこ巻きは、この「どんどん焼き」の名残ということのようである。
関西のお好み焼きは「一銭洋食」という祖型を持っている。富士宮のお好み焼きもかつては「洋食」と呼ばれたが、明治の東京でお好み焼きの原形のような鉄板系コナモンがあったことに注目したい。ひょっとしたら関西よりも早かったかもしれない。
祖型ということで言えば、たこ焼きの先祖かもしれない「ちょぼ焼き」についてメールをいただいた。
鉄板に油を引いたら小麦粉を穴に流し、具を入れて醤油を1滴たらします。最初はコンロの上で焼きます。ある程度焼けたらコンロの下に焼き板を移し上側を焼きます。なんとなくわびしい食べ物ですが、一家団欒なんとなく暖かな気分でした。その後次第に作ることもなくなり、「ちょぼ焼き」は懐かしい思い出となっていました。ところが数年前、大阪ミナミの道具屋筋で「ちょぼ焼き」の道具が売られているのを見つけ買い求めました(大阪生まれ大阪育ちの大阪さん)
「ちょぼ焼き」→「ラヂオ焼き」→「たこ焼き」の変遷については熊谷真菜著『たこやき』に詳しく書かれています。大阪さんからは写真を送っていただいたので、ここで紹介します。
釣り鐘型たこ焼きの目撃情報。こばばさんから「三重で見た」、akiさんから「広島市にもあった」とのこと。意外に全国展開している。ではなぜこんな形のたこ焼きが全国にあるのか。それについての考察も寄せられている。
「鈴焼きカステラ」をご存じでしょうか? そう、パンケーキにグラニュー糖を塗した「たこ焼き形」の駄菓子です。私はこの「鈴焼きカステラ」の型を「ラヂオ焼き」・「たこ焼き」に応用したのではないかと考えています。そして、釣り鐘型のたこ焼きは釣り鐘カステラの型を利用したのではないかとも。
江戸後期から昭和初期まで、大阪の松屋町(まっちゃまち)には菓子屋が集まり、多種多様な菓子を製造して全国に卸していました。比較的安価に、そして多量に流通菓子を供給していたわけです。当然、多種多様な菓子の焼き型もあったことでしょう。そんな中のひとつの鋳物型に目を付けた人があってもおかしくはないでしょう。で、そのもとの菓子型が欧米のまあるいパンケ-キを焼くための菓子型だったのかも知れません(豊下製菓の豊下さん)
この説は有力である。焼き型がなけれな液状コナモンは焼けない。型が極めて重要な要素になる。釣り鐘型たこ焼きの型が釣り鐘状カステラ型の流用であったとの見方はビンゴのビンゴ、大当たりではないだろうか。だが、私はこれ以上立ち入る知識を持ち合わせていない。どなたか専門家のご意見を伺えればと思う。と言っても「その6」には突入しないが。
残りのメールを一挙公開。
白滝?! はぁ~っ?? って思いましたが、お好み焼きだからこれもありか…と妙に納得しました(3匹のこぶたさん)
そうですか。お好みですもんね。
ここで黒デスク乱入 そうそう、チャーハンを2枚のお好み焼きではさんだ逆ライスバーガーみたいなのを木場で食べました!
その後成長し、ドイツ料理にジャガイモのパンケーキというものがあることを知り、さらにその味が紅ショウガや青海苔を入れないプレーンな「だら焼き」とそっくりであることを知って驚きました。この料理、ドイツが先なのでしょうか、日本が先なのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください(ブーニーファンさん)
うーん、わかんない。
うーん、どっちでしょ。
健在です。
北陸でも特に富山は魚をどんどん昆布で締めます。関西に次ぐ昆布大量消費地帯です。
ここで、待っていたメールがようやく来た。
関東では「今川焼き」と言う人が多いようですが、自分では、近所にあった店での呼び名「大判焼き」をずっと使っていました。「今川焼き」の今川は確か神田あたりの地名だったと記憶していますので、関東に多い呼び名であることは合点がいきます。
この食べ物、九州では「回転焼き」という人が多く、中国地方、特に広島では「二重焼き」という人が多いと聞きました。他にも「御座候(ござそうろう)」、「太鼓饅」など、多種多様な名前で呼ばれているらしいです。有力な「食の方言」のような気がします(ミルフォードさん)
私は「太鼓まんじゅう」で育った。母がそう呼んでいたからである。この呼び名分布はまだ地図になっているのを見たことがない。今回調べたかったのだが、いまからやると「その6」に突入必至なので見送ることにする。残念。
デスク乱入 僕も「今川焼き」と「大判焼き」の併用組ですね。
で、VOTEである。
今回のテーマがなぜ「その5」にまで及んだかと言うと、途中から「またしても東日本からのメールが極端に少ないのはなぜだろう」と考え、その答えに結びつくメールが来るのを待っていたからである。米沢出身の人から「米沢にはお好み焼きの店がなかったと思う」という話を聞き、鉄板系コナモンはやはり主として西日本型の文化であることに気づいた。
鉄板系コナモン好き度調査。「なかったら生きていけないくらい好き」「大好き」「まあ好き」「なくても平気」「どうでもいい」「好きではない」のうち「なかったら生きていけないくらい好き」と「大好き」を足し「コナモン大好き率」とした。これが80%を超えた「コナモン大好き地域」のベスト4は和歌山、広島、奈良、大阪であった。関西は当然として、広島の強さがぐんぐん目を引く。
ベスト5から10は京都、三重、鹿児島、岡山、兵庫、宮崎であった。実に上位27位まで、長野を除く26府県がすべて西日本勢。鉄板系コナモンは完全に西の文化であることが証明された。
ちなみに「生きていけないくらい好き」が60%と断トツの1位だったのは徳島。「日本ソース地図」では広島とならんで「お好みソース圏」とされている。確かにお好み焼き屋さんは多かったな。
では「大好き率」がゼロ、すなわち反コナモン地帯はどこであろうか。山梨、茨城、岩手、秋田である。焼きそばの町、秋田県横手市危うし。頑張れ。
釣り鐘型たこ焼きの生息地はどこか。簡単に言うと、ほぼ全国的にぽちぽち存在するようである。ただ、鳥取、山梨、群馬からは目撃情報ゼロ。各地域のデータは詳細地図が完成したらご覧になっていただきたい。
さて、次回のテーマは「ところてん及びその他海草系」である。
ところてんにソースという食べ方が少数派なのかどうかというような懸案のテーマに迫りたいと思う。九州や山口の「おきゅうと」を挙げるまでもなく、現在も生活密着型の海草系物件が多く存在すると思う。特に東日本からの情報に期待したい。
デスクまた自宅でもそもそ 九州以外の人には「おきゅうと」ってわかんないと思いますよ。僕も10数年前に「クッキングパパ」で読んで初めてその存在を知りましたが、いまだ実物に出くわしたことはありません。
おきゅうとば知らんと? 一見コンニャク食感軟弱酢醤油必須たい。
エミー隊員 心は九州人のエミーも知らんそっちゃね。一度食べてみたいっちゃ。
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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