変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

店頭公開した翌1996年、エイチ・アイ・エス(HIS)は航空業界参入を表明する。

HISが普及に一役買った格安航空券の存在もあり、海外旅行はかなり安くなり身近な存在になりました。しかし国内の航空運賃はなかなか下がりませんでした。理由は明確です。規制に守られて新規参入がなく、競争する必要がなかったからです。当時は3社あった航空大手が横並びの価格設定のままで、日本の航空運賃が安くなることはありませんでした。

当初は好調だったが…(就航前に会見する沢田会長)

当初は好調だったが…(就航前に会見する沢田会長)

しかし海外では英実業家のリチャード・ブランソン氏が80年代にヴァージン・アトランティック航空を立ち上げるなど、格安航空会社(LCC)が欧米で誕生して成功を収めていました。アジアにもLCCの時代が到来するという予感がありました。

「日本発のLCCを作りましょう」。日本の航空会社にお願いしましたが「同じ距離を同じ量のオイルを使って飛行しているのだから価格は下げられない」という理屈で断られました。消費者に手ごろな値段で旅行を楽しんでもらうには自分で航空運賃を安くするしかありません。

航空会社を作る構想を温めていた80年夏、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)初代社長となる大河原順一さんと出会いました。大河原さんは当時、ベンチャーキャピタルのHIS担当でしたが、航空会社を作ることで意気投合しました。しばらくして、2人が中心となって新規参入のための勉強会を始めました。

運輸省(現国土交通省)の役人にさりげなく航空業界への新規参入の可能性を聞いたところ、「99%難しい」という感触でした。それでも1%は可能性が残っていると考え直しました。持ち前のチャレンジ精神に火が付き、日本の航空運賃が安くならないのはおかしいと、新規参入の可能性を探り続けました。

羽田空港が拡張工事され、航空業界の規制緩和を求める声が高まった。

「羽田空港の発着枠が拡大される」という情報が入りましたが、まだまだ航空会社を立ち上げるには準備不足という意見もありました。しかし95年にはHISが店頭公開し、手元には一定の資金がありました。この発着枠の拡大を千載一遇のチャンスにしようと新規参入に手を挙げました。

資金面ではベンチャー企業の仲間や先輩経営者が助けてくれました。規制に挑み続けたヤマトホールディングスの故小倉昌男さんは「おれが資金を出したら、運輸省に嫌われるよ」とおっしゃいましたが、個人で出資していただきました。規制緩和小委員会の座長を務めていたオリックスの宮内義彦社長(当時)も賛同してくれ、株主にオリックスの名を連ねてくれました。

「2年後の運航開始を目指します」。96年10月12日の記者会見でこう宣言しました。それが初フライトまでの苦難の2年間の始まりでした。

[日経産業新聞2016年1月14日付]

<< (8) 口コミで拡大、店頭公開   (10) 初飛行へ綱渡りの連続 >>

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック