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はるばる日本からきた少年使節団はローマで大歓待を受け、接見したグレゴリオ教皇は、彼らを見て感動のあまり号泣した――このドラマの脚本、演出、監督をすべて手掛けたのが類いまれなるグローバル経営者、ヴァリニャーノでした。

一橋大学大学院教授 楠木建氏

一橋大学大学院教授 楠木建氏

グローバル化へとかじを切る戦略的な意思決定をしたのはバチカン本社(教皇庁)であったにせよ、グローバル化が成功するかどうかは、結局のところヴァリニャーノのような非連続を乗り越えることができる経営人材がいるかどうかにかかっています。

過去の日本の企業にしてもそうです。高度成長期の日本の製造業は、猛烈な勢いで商売を世界に広げた実績があります。そこでもヴァリニャーノばりの経営者(典型例がソニーの盛田昭夫さん)が相手の市場や文化を深く理解して、率先して切り込んでいきました。

単純にこちらのやり方を押しつけるか、あるいは単純に向こうに全部合わせるかの二者択一なら話は簡単です。しかも布教にしても経営にしても、グローバル化は二者択一ではなく、二者の融合の問題となります。その融合のインターフェースをどうとるか。そこにセンスが求められます。

ヴァリニャーノのような本質を見抜く洞察力と相手を理解しようとする謙虚さを備えていて、しかも自分勝手に物事を解釈しないリアリズムでものを考えるリーダーが必要なのです。ただ社員全員がヴァリニャーノである必要はありません。自分の会社のヴァリニャーノを見極めるのがグローバル経営の第一歩です。

本書を日本企業のグローバル経営に対するメッセージとして読めば、結論はこうなります。「あなたの会社にヴァリニャーノがいるか。いるとしたらそれは誰か」。この問いに対して答えがすぐに出なければ、グローバル化はかけ声倒れに終わるでしょう。グローバル化をリードできる経営人材の見極めをすべてに優先すべきです。

ケーススタディー 「経営人材」がいないからグローバル化が進まない

グローバル化の局面では、それまで慣れ親しんだロジックが必ずしも通用しない未知の状況で、商売全体を組み立てていかなくてはなりません。特定の決まった範囲での仕事をこなす「担当者」では手に負えない仕事です。商売丸ごとを動かすことができる「経営者」が不可欠になります。

ビジネスに必要とされる「スキル」と「センス」、この2つは区別して考えたほうがよいでしょう。担当者の仕事であればそれぞれの専門分野のスキルがあれば事足ります。グローバル化との関連で耳目を引く英語力や異文化コミュニケーション力、人事労務や法制度の知識、こうした能力はスキルのカテゴリーに入ります。

グローバルなスキルを持つ「グローバル人材」がいないからグローバル化が進まない、と考えるから話がおかしくなるのです。未知の状況でゼロから商売丸ごとを動かす「経営人材」がいないからグローバル化が進まないのです。スキルある担当者ではなく、センスある経営者を必要とします。白紙の上に商売全体の絵を描くセンスをもつ経営人材が最も典型的に必要になる局面、そこにグローバル化の正体があります。

日本を自分たち西欧のやり方に合わせるのでなく、自分たちを日本に合わせていくという日本文化尊重の布教へとヴァリニャーノは戦略転換を決断し、垂直型布教の戦略をとっていた布教長のカブラルを更迭しました。ここまではよかった。問題は後任にコエリョという人物を置いたことです。

スキルやスペックだけでの人事でつまずいた布教活動

本書に出てくる話でいえば、カブラルの後任として日本での布教活動の責任者となったコエリョには財務のスキルがありました。コエリョの通訳となったフロイスには日本語やコミュニケーションのスキルがありました。しかし、彼らが秀吉に相対してフルスイングで空振りしたように、未知の状況で事業を丸ごと創っていくということになるとスキルだけではどうしようもありません。スキルにいくら優れていても経営者にはなれません。優れた「担当者」になるだけです(それはそれで企業にとって大切な人材ですが)。

ヴァリニャーノにはグローバルな経営者としてのセンスがありました。しかし、センスあふれるヴァリニャーノも最後の人事でつまずきました。形式的なスキルや表面的なスペックだけで人事をするとろくなことになりません。500年前から経営の原理原則は変わらないのです。

ヴァリニャーノの心中にあった次の「日本支社長」は、コエリョではなくオルガンティーノでした。オルガンティーノは自分と同じような考え方を持っており、リーダーとしての胆力にも優れていました。しかし、オルガンティーノには財務スキルがありませんでした。もうひとつの懸念事項として、彼はヴァリニャーノと同じイタリア人でした。「公平な人事」のために、同国人をひいきしたと思われたくないという配慮がはたらきました。そこでヴァリニャーノはポルトガル人のコエリョを後任に指名します。結果からすれば、これが大失敗でした。

信長の死後、最高権力者となった秀吉との謁見で、コエリョは致命的なミスをおかしました。大タヌキの秀吉は、まず宣教師たちの活動を称賛して持ち上げます。日本の過半数をキリシタンにするつもりだとまで言います。おだてられてすっかり気をよくしたコエリョは、通訳のルイス・フロイスを通じて、布教戦略の根幹にかかわる大胆発言をしてしまいます。秀吉が九州に進撃することを願っているとしたうえで、それが実現したときには九州の全キリシタン大名を秀吉側につかせるように尽力すると提案するのです。

秀吉の猜疑心を生んだ宣教師の蹉跌

秀吉からしてみれば、これは宣教師がキリシタン大名を通じて政治に介入するという話以外の何物でもありません。ときの最高指導者だった秀吉にとって、キリスト教と宣教師について大きな疑惑を与える発言でした。ところが、調子にのったフロイスとコエリョは秀吉の疑念にまったく気づかず、「将来、殿下が中国に攻め入る際には、ポルトガル人から2艘(そう)の大型船を世話しましょう」などと政治協力の話をエスカレートさせます。

この報告を受けたアジア本社の最高経営責任者(CEO)、ヴァリニャーノは激怒しました。九州征伐にカトリックの神父が役立つということを強調すればするほど、秀吉の猜疑心(さいぎしん)は増します。秀吉は非常に狡猾(こうかつ)だったので、表面上は満足したように見せかけてコエリョとの会談を終えています。コエリョとフロイスは、単純に大成功を信じて大喜びでした。しかし、おそらくこのときに、秀吉はキリスト教弾圧の方針を固めたのです。

少年遣欧使節が長年の苦労を乗り越えて、8年ぶりに戻ってきたときには、すでに日本の政治情勢は一変していました。秀吉によって日本に統一的な国家体制が構築されつつあり、伴天連追放令が出されていました。

4人の青年宣教師は悲惨な結末を迎えます。マンショは病死。マルティーノは国外追放されてマカオで死亡。潜伏していたジュリアンは見つかって死刑。ミゲルは棄教。本書の後半は、前半から一転、ヨーロッパにおける栄光の旅から戻った4人の悲劇的なその後の人生が描かれています。

楠木建(くすのき・けん)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授
専攻は競争戦略。1964年生まれ、東京都出身。92年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、同大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。 趣味は音楽(聴く、演奏する、踊る)。
=この項おわり

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

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