
「もっとパドルを深く水に入れて。水を感じてちょうだい」
ヒナテア・バーナディノさんの声が響く。私たちが乗るカヌーは、鏡のように穏やかなタヒチの海面を滑るように進んでいく。2メートル下の海底と、素早く泳ぐブダイの姿がはっきり見える。
「カヌーと一つになるのよ」
タヒチの言葉で「ヴァア(va’a)」と呼ばれるアウトリガーカヌー(舟の片側に張り出した浮きの付いているカヌー)では、肉体的な強さよりも「マナ」に導かれて進む能力のほうが重要だとバーナディノさんは言う。マナとは生命の力であり、祖先や自然のエネルギーのことだ。バーナディノさんは、カヌーの漕手(そうしゅ)として数々の勝利を手にしてきた実績から、ポリネシア諸島におけるレジェンド的な存在となっている。
「レースのときにマナを感じることができれば、それはつまり、カヌーに乗っているのは私たちだけではないということです。そうすれば、より速く進むことができるのです」
2021年7月24日、バーナディノさんは、タヒチ島のパペーテ沖で開催された「テアイト」という大会で11回目の優勝を果たした。テアイトはタヒチ語で「戦士」という意味だ。この大会は毎年開催され、今年で33回目。世界でもっとも威信あるヴァアの個人レースだと考えられている。
かつて西洋の探検家たちは、コンパスと地図を手に航海に乗り出した。しかし、ポリネシアの人々は、その何世紀も前から、波や星、鳥の飛行パターンなどを頼りにしてカヌーを操っていた。人類学者のウェイド・デービス氏は、著書『The Wayfinders』にこう書いている。「さらに驚くべきことに、ウェイファインディング(ポリネシア航法)は推測航法に基づいている。自分がいた場所と、そこからどう移動したかを正確に知ることでのみ、自分の現在位置を知ることができる」
「自分がどこから来たか」を知ることは、バーナディノさんのようなアスリートにとっても重要だ。彼女にとって、カヌーは単なるスポーツではなく、自分と伝統をつなぐ文化的慣習でもある。だが、バーナディノさんのような最高の栄誉を得た女性アスリートでさえ、いまだに平等に扱われるための闘いを続けている。
