温暖化で広がった南極のオキアミ漁場 ペンギンに異変
海氷が縮小する南極半島沖ではオキアミを狙う漁船が漁場を広げている。だが半面、オキアミが減れば困るペンギンもいる。ナショナル ジオグラフィック11月号では、温暖化がもたらした南極に迫る危機と、海の生き物たちを守る保護区の必要性をリポートしている。
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2021年1月、南極半島西岸のネコ湾に1隻のゴムボートが入っていった。この湾に暮らすジェンツーペンギンたちにとって、人間を見るのはほぼ1年ぶりのことになった。ボートから下りてきたのは、ペンギンを専門とする生物学者のトム・ハート氏と科学者が数人。新型コロナウイルス感染症のパンデミックが始まって以来、観光客がすっかり姿を消したこの地を、彼らは再び訪れた。
約2000羽が集うジェンツーペンギンのコロニーでは、巣を探す1羽のペンギンがおぼつかない足取りで歩くたびに、鋭い鳴き声がさざ波のように広がる。だが、ボートから下りたその足で、設置されたタイムラプス(低速度撮影)・カメラへとまっすぐに向かうハートには、ペンギンたちは目もくれない。ハート氏はカメラの防水ケースの中から、メモリーカードを取り出した。
ペンギンたちが産卵と子育てのために、このコロニーにすみ着いて4カ月。カメラは夜明けから夕暮れまで、1時間置きに彼らの写真を撮ってきた。長さ1340キロ、幅70キロのこの半島にはほかにも100台近いカメラが設置されていて、10年にわたって3種のペンギンの繁殖コロニーを記録している。
ここ30年の間に、南極半島ではジェンツーペンギンが急速に生息数を増やし、多くの地点で3倍以上になった。以前は海氷が多く、生息地に適さなかったもっと南のエリアにも、コロニーが拡大しつつある。それとは対照的なのが、ジェンツーペンギンの姉妹種である比較的小型のヒゲペンギンと、頭の黒いアデリーペンギンだ。ジェンツーの数が増えているコロニーの多くで、これらの種は75%以上も数が減っている。
「ざっくり言って、アデリーペンギンとヒゲペンギンが1羽減るごとに、ジェンツーペンギンが1羽増えるという計算です」と、ハート氏は話す。
ペンギンは環境の変化に極めて敏感で、豊かな海が育むたくさんの獲物を頼りに生きている。とはいえ、研究者たちは、ヒゲペンギンやアデリーペンギンが絶滅するとまでは思っていない。南極半島以外では生息数が安定しているように思われるコロニーもあり、そのいくつかは増加している可能性さえある。
「心配なのは、南極半島での減少があまりに急激なことです」と、生態学者のヘザー・リンチ氏は言う。南極海におけるペンギンの生息数の変動は、生態系が損なわれつつあることへの警鐘だ。「南極海に何らかの変化が起こったことが分かります。そして、それは文字通り、氷山の一角だということも」
この氷の世界は危機に直面している。南極半島は地球上で温暖化の進行がとりわけ速い場所の一つだ。20年2月に熱波が発生した際には、半島の北端近くにあるアルゼンチンのエスペランサ基地で、セ氏18.3度というそれまでの最高気温を記録した(例年、夏の気温はせいぜい2~3度)。気温が上がれば、半島周辺の海氷は解ける。16年には、人工衛星で氷の変化を観測し始めた1970年代以来、海氷の面積は最も小さくなった。
海氷の減少が問題なのは、その氷の海に南極海の食物連鎖に欠かせない小指サイズの甲殻類、ナンキョクオキアミが暮らしているからだ。ミンククジラやザトウクジラは、それを口いっぱいにすくい上げるためにやって来るし、イカや魚類やペンギンも、ナンキョクオキアミを食べている。そして、そうした動物たちの多くは、ヒョウアザラシやカモメなど、食物連鎖の上位に立つ捕食者たちに捕食される運命だ。つまり、オキアミなしでは生態系が成り立たない。
温暖化によってどれほどのオキアミが失われてきたのかは、はっきりとは分からない。一方、南極半島の周辺海域は、南極海で最大のオキアミの漁場となっており、漁獲量は1日当たり725トンを超える。捕獲されたオキアミは船の上で、家畜の飼料や、栄養補助食品に添加するオキアミ油のような製品に加工されるという。
「海氷が少なくなるほど、オキアミ漁船がより漁場の奥へと入り込めるようになるのです」と、リンチ氏は言う。
こうした漁船の動きを背景に、南極研究者の国際的なチームが、南極半島の西岸沿いの海域を守るため、面積67万平方キロの海洋保護区(MPA)の設立計画案を作成した。
南極半島西岸を対象とする提案が通れば、4カ所の一般保護海域の中で、野生生物の保護のために極めて重要と見なされた海域からオキアミ漁船が締め出されることになる。最も大きな指定海域は南にあり、海氷に覆われているため、これまでに人の手が入ったことはない。その海域では、たとえ海氷が解けて船が航行できるようになっても、将来にわたって商業漁業は禁じられる見込みだ。それ以外の海域では、新たな規制の下でオキアミ漁が継続可能となる場所が指定されることになりそうだ。
目標の一つは、主に漁場を規制することで、南極半島の生態系が気候変動に対応する能力を確保することだ。「MPAを設けても気候変動の影響は避けられませんが、生態系へのストレスは軽減できます」(海洋生物学者のメルセデス・サントス氏)
1982年に創設された国際機関「南極の海洋生物資源の保存に関する委員会」(CCAMLR)は南極半島周辺におけるオキアミの漁獲量を、年間15万5000トンと定めた。これはこの海域にすむオキアミ全体の推定量の1%未満だ。専門家によると、おそらくこの数字なら全体として今の生態系を維持できるという。ただ、オキアミ漁からは目が離せない。
「たとえ捕獲量の割合がわずかだとしても、自分たちの採餌場でオキアミがいなくなってしまったペンギンたちにとっては、何の意味もなさないのです」と、リンチ氏は言う。
「過去10~15年の漁船の動きを調べてみてください。みんな同じ地点に向かっていますよ」と、チリ南極研究所のセサル・カルデナス氏は言う。漁船団はオキアミが最も豊富な海域を狙うが、そこはクジラやペンギンの採餌場でもある。30年以上にわたって集めたデータを20年に分析したところ、オキアミの漁獲量が多い海域のペンギンは、ひなの体重が軽かったり、繁殖の成功率が低かったりすることが分かった。
オキアミ漁を保護区内の特定の海域のみに限定すれば、親ペンギンが狩りをする場所でのオキアミの生息数を、健全なレベルに維持する助けにはなるだろう。
科学的なデータをそろえたら、MPA設立への次なるステップは主として政治の領域だ。保護区をめぐっては、各国で思惑があるからだ。
(文 ヘレン・スケールズ、写真 トマス・P・ペシャック、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年11月号の記事を再構成]
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