日経ナショナル ジオグラフィック社

2021/12/13

しかし、イヌをよそへ移動させるのも、安楽死させるのも、状況を悪化させる可能性が高いと、米国に拠点を置く非営利団体「狂犬病予防世界連盟」の技術リーダー、テレンス・スコット氏は言う。

スコット氏によると、もしワクチン接種済みのイヌを地域から排除すれば、単に新しいイヌ(狂犬病の可能性がある)がその縄張りを占拠するだけだという。だからこそ、ワクチン接種をしたイヌを街に戻すことが、病気のまん延を抑える確実なやり方なのだと、氏は述べている。

「いうなれば、ワクチンを接種したイヌは狂犬病との闘いにおける兵士のようなものです。狂犬病のイヌがワクチン接種済みのイヌをかんだ場合、狂犬病の感染はそこで途切れる可能性が高いのです。こうしてワクチン接種は、コミュニティを狂犬病から強力に守ってくれるわけです」

ベルディへの認識の変化

課題は多いものの、イヌたちへのワクチン接種と市民への教育の両方によって、タンジェでの狂犬病感染は大幅に抑制されていると、カダウィ氏とシャキブ氏は自負している。彼らは定期的に学校を訪れて、子どもたちに、イヌに近づかない、イヌを刺激しないといった野良イヌと共存するための方法を教えている。

「大きな問題のひとつは、モロッコの人たちがイヌは怖いものだと教えられていること、そしてイヌは人の恐怖を感じ取ると、自分が危険にさらされていると思ってしまうことです」。たとえば、イヌがほえながら人に向かって走っていく姿は攻撃的に見えるかもしれないが、ほんとうは好奇心を持っているだけなのだと、カダウィ氏は言う。

タンジェの住人の多くは、少しずつベルディを大切にするようになってきている。昨年は、モロッコ軍に属する王立モロッコ憲兵隊の隊員が、市内の交通を止めて野良の子イヌを救出しているビデオが、インターネットで大きな話題になった。

「この活動を始めたとき、世間の人たちからはどうかしているという目で見られました」とカダウィ氏は言う。「けれど今では、よくやっている、ありがとうと言ってもらえるようになったんです。地域全体を味方につけることができれば、この闘いに勝つことができるでしょう」

広がる保護活動

ベルディの暮らしが改善されている街はタンジェだけではない。シャウエンの「ベルディレフュージモロッコ」やアガディールの「サンシャインアニマルレフュージ(SARA)」といった保護団体もまた、それぞれの街でイヌのTNRと海外での里親探しに取り組んでいる。

SARAの創設者ミシェル・アウクスブルガー氏は、数百匹ものベルディを母国のスイスをはじめ、ドイツ、カナダへ送っている。カナダにはベルディ専用のフェイスブックグループまであり、保護されたイヌたちの海外での暮らしの様子が紹介されている。そこには、ベルディが森を散歩したり、ソファでネコと寄り添ったりしている写真が満載だ。

「イヌを引き取った人たちからは、たくさんの感謝の言葉が届いています。彼らは自分のところにきたベルディのことをとても誇りに思っているのです」とアウクスブルガー氏は言う。「ベルディはほんとうにすばらしいイヌです」

シャキブ氏とカダウィ氏も同意見だ。さらに医学的な観点から見ると、里子に出されたベルディたちは純血種のイヌよりも体が丈夫な傾向にあり、最長で17年生きることができるという。「健康で長生きするイヌがほしいなら、ベルディを飼うのがおすすめです」とカダウィ氏は言う。

「もっともやりがいのある仕事」

1日の中でも特に暑い時間帯、カダウィ氏はタンジェの住宅街マラバタにある自宅のドアを入る。15匹のベルディたちはすっかり興奮して、ほえたり、テーブルに飛び乗ったり、尻尾を振ってぐるぐる回ったりしている。

15匹の中には、病気や手術からの回復のために一時的にこの家にいるものもいれば、ここに永住するものもいる。また、何匹かは、TNRプログラムを経て通りで暮らしながら、ときどきここに立ち寄るイヌたちだ。この家は子どもたちでいっぱいの遊び場のようなエネルギーにあふれている。

「常に仕事中という状態です。イヌが寝れば自分も寝て、イヌが起きれば自分も起きます。簡単なことではありません」とカダウィ氏は言う。「それでも、イヌたちがくれる愛と喜びは何にも代えがたいものです。これほどやりがいのある仕事はほかにありません」

(文・写真 ERIKA HOBART、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年11月20日付]