モロッコに300万匹の野良犬 助けようと奮闘する人々

日経ナショナル ジオグラフィック社

2021/12/13
ナショナルジオグラフィック日本版

モロッコの海岸都市アガディールに集まるベルディの群れ。ベルディはこの国に暮らす雑種犬の総称で、モロッコで話されているアラビア語の方言、ダリジャ語で「田舎から来た」を意味する(PHOTOGRAPH BY ERIKA HOBART)

ここはアフリカ、モロッコの港町タンジェ。サリマ・カダウィ氏の1日はまだ暗いうちに始まる。街の大半が眠っているこの時間、通りをわが物顔で闊歩(かっぽ)しているのはベルディと呼ばれる野良イヌたちだ。

2021年8月のこの朝、カダウィ氏はバンで出発すると、わずか数分で1匹目を見つけた。茶色いイヌで、鼻先が黒く、足先が白い。ベルディとは、モロッコにすむ雑種のイヌたちの総称で、モロッコの方言、ダリジャ語で『田舎から来た』を意味する。

カダウィ氏は車を道端に止め、ドッグフードとスリップリード(ひもの端の輪をイヌの首にかけると輪が締まるタイプのリード)を持って外へ出る。イヌは警戒しつつ尻尾を振っていたが、カダウィ氏がしゃがんで頭をなでても怒らずに、彼女が差し出すエサを食べた。

少し離れたところに、さらに5匹が姿を見せ、カダウィ氏の方へトコトコと駆けてきて、相手にしてもらえるのがいかにもうれしいといった様子でエサにかぶりつく。カダウィ氏はスリップリードを1匹のイヌの首にかけると、その子を抱き上げた。

イヌの体は、カダウィ氏自身の体と同じくらいの大きさがありそうだ。カダウィ氏はイヌをバンの後部に入れてから、さらに2匹を捕獲するために戻ってくる。最初に彼女が目にした白い足のオスは、少し距離をとりつつも、まだ尻尾を振って静かに氏を観察している。

保護団体「SFTアニマルサンクチュアリ」の創設者サリマ・カダウィ氏。2021年8月、妊娠したイヌを車に運んでいるところ(PHOTOGRAPH BY ERIKA HOBART)

「今朝は、3匹以上は連れていけないんです」と語るカダウィ氏は、タンジェで野良イヌたちの保護活動を行う団体「SFTアニマルサンクチュアリ」の創立者だ。3匹のイヌ(いずれも妊娠していることが判明。決して珍しいことではない)には、不妊手術と狂犬病の予防接種が施される。また、個体数をコントロールするために、イヌたちのおなかにいる子は獣医師によって中絶される。その後、SFTのスタッフがイヌを街の通りに戻す。これは一般にTNR――捕獲(Trap)、不妊・去勢手術(Neuter)、元の場所に戻す(Return)――と呼ばれる取り組みだ。

300万匹の野良イヌが引き起こす問題

タンジェだけで少なくとも3万匹の野良イヌがいると言われており、モロッコ全体では推定300万匹にのぼる。イヌたちの多くはゴミの中から食べ物をあさり、けがや病気に悩まされる悲惨な状況で暮らしている。疥癬(かいせん)のほか、まれに狂犬病を患っているものもいる。

モロッコでは毎年80人が狂犬病で亡くなるとされており、それがこの国で野良イヌが嫌われるいちばんの理由だと、カダウィ氏は言う。ベルディがどれほど人をかむかを示したデータはまれで、信頼できないものも多い。ただし、確認されている情報として、海辺の街アガディールでオーストリア人観光客が狂犬病のベルディにかまれ、その後死亡した例がある。

17年、カダウィ氏らは「プロジェクト・ハヤト」(ハヤトはアラビア語で「命」の意)を立ち上げ、タンジェをアフリカ初の狂犬病ゼロの都市とすることを目標に掲げた。その主な手段は、25年までに3万匹にワクチン接種と不妊手術を行うことだ。現在までのところ、ワクチンを接種して解放したイヌは2500匹以上にのぼり、今後はモロッコ内務省からの資金援助を受けて、その数を増やしていくことを予定している。

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