「壊れていない!」 ノートルダム大聖堂再建の裏側

2022/2/6
ナショナルジオグラフィック日本版

2019年4月、炎に包まれたフランス・パリのノートルダム大聖堂。その衝撃的な映像はテレビやインターネットを通じて世界中へ伝えられた。その直後、フランス政府は24年までに再建すると約束。ナショナル ジオグラフィックは今回、作業の進む現場への立ち入りを特別に許された。2月号では、その様子をリポートする。

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パリの発掘調査を監督する遺物保存の専門家、ドロテ・シャウイ゠デリューはツイッターで火災発生を知った。その後の2年間、空っぽになった大聖堂で、ほぼ毎日のようにがれきを選別して過ごすことになるとは思いも寄らなかった。ノートルダムそのものが発掘現場になるとは。

「私はテレビを呆然(ぼうぜん)と見ているだけでした。パリに住んでいるのだから、現場に行けばいいのに」と話すのは、森林管理の専門家、フィリップ・グルマンだ。テレビの解説者は、今のフランスにはオーク材もなければ知恵もないから、ノートルダムの屋根を支える木材の骨組みは二度と造れないと語り、フランス各地の森林を管理しているグルマンは、怒りを募らせながらそれを聞いていた。そして午後11時までには、電話で仲間と話し合い、寄付の形で必要な木材を集める手立てを考えていた。

ちょうどその頃、2013年からノートルダム大聖堂の修復工事を指揮してきたフィリップ・ビルヌーブは大聖堂の正面の広場に到着した。尖塔(せんとう)が倒壊したとき、彼は列車に乗っていて、電波が届かない状態だった。翌日、被害状況を調べるために西正面の北側の塔に登り、尖塔の頂にあった雄鶏の銅像を見つけた。横の屋根の上に落ちたのだ。

「広場に着いたときは、死んだも同然でした。今でも昏睡(こんすい)状態ですよ」とビルヌーブは話す。「大聖堂の立て直しは、自分を立て直す作業でもあります。完了すれば、私も救われます」。本格的な修復工事の開始を目前に控えた21年9月、ビルヌーブは自分の左腕に尖塔を描いたタトゥーを入れた。

修復現場へ

1998年の夏、私(著者のロバート・クンジグ)は美術史家のスティーブン・マリーの案内でノートルダムの屋根裏に登った。明るい日中にもかかわらず、そこは薄暗かった。教会の床から見上げたときには、こんな舞台裏があるとは想像もつかなかった。まさに職人たちの世界だ。入り口から主祭壇まで続く身廊と翼廊が直角に交わる中央交差部で足を止めて、尖塔を支える手の込んだ木の骨組みを見上げた。

21年夏、再び同じ場所を訪れた。ただし、このときは修復工事用の足場に立って、巨大な穴を見下ろすことになった。尖塔が石造りのボールト(曲面天井)を突き破って崩落した際に開いた穴だ。尖塔の頂が突き刺さって身廊にも穴が開き、北側の翼廊の端にも穴が開いていた。オーク材を三角形に組んだ高さ約10メートルの屋根の骨組みは、炎が燃え広がると崩れ、ボールトを突き破って下に落ちた。中央交差部の床には、焦げた木材と石が高さ1メートルほども積み重なっていた。

これらのがれきはただ撤去するわけにはいかないと、火災後数日足らずでシャウイ゠デリューらは判断した。がれきも法律で保護された文化遺産であり、専門家の手で選別する必要がある。この作業のため、歴史的建造物研究所は34人いるスタッフの大半を現場に派遣したと、ティエリー・ジマー副所長は明かした。

損傷したボールトが崩れ落ちる危険があったため、がれきの回収には遠隔操作のロボットが使われた。鉛の粒子を吸わないよう防じんマスクを装着した専門家チームが側廊に待機し、ロボットが運んできたがれきを調べ、修復に役立ちそうな遺物や、歴史的価値がある遺物を抜き出した。

「これらすべては、これまで私たちが触れたことのないものです」とジマーは言う。「単純には喜べませんが、今はそれが手元にあります」。火災のおかげで大聖堂の工法がこれまでより詳しくわかり、建設された時代についても理解が深まる。それがせめてもの救いだろう。

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