日経ナショナル ジオグラフィック社

シンガポール在住のタニヤ・ピレイ・ネアル氏によるプラナカン料理。ネアル氏は現在、インドの影響を受けたプラナカン料理の本を執筆している(PHOTOGRAPH BY ORE HUIYING)

1960~70年代、シンガポールのプラナカン文化は絶滅の危機にさらされる。折しも140年におよぶ英国の植民地統治から解放され、シンガポールは近代化に向かって突き進んでいた。そのために、時代遅れの伝統や文化を脱ぎ捨てることをいとわなかった。植民地時代に建てられたプラナカンの建物は、高層マンションや巨大モールに取って代わられ、時間をかけて煮込む伝統料理はファストフードに変わった。

1980年代、プラナカン文化に危機

1980年代になると、古いショップハウスなど建築学的に重要な建物が取り壊され、シンガポールはもはや「アジアのアイデンティティー」を反映しなくなったと、保護活動家や市民リーダーたちは懸念を示した。観光業が衰退したのは、シンガポールが持っていた「東洋の神秘的雰囲気と魅力という側面を自ら取り去ってしまったためだ」とも指摘された。

2021年8月、ストレイト・エンクレーブ博物館のクラフト教室で、伝統的なプラナカンの服を着て、ビーズを縫い込む女性(PHOTOGRAPH BY ORE HUIYING)

シンガポール政府の開発と保全を担当する都市再開発局は、世紀の変わり目に建てられた色彩豊かなショップハウスを保存する計画を立ち上げた。ショップハウスとは、中国バロック様式の2階建てから4階建ての狭い住宅で、美しい花模様のタイルと木彫りの雨戸が特徴的だ。1階が店舗になっていて、2階より上が住居になっている。

そんなショップハウスが立ち並ぶカトン地区の向かいの静かな住宅街に、NUSババ・ハウスと言う博物館がひっそりと建っている。1895年に建てられたプラナカン風の3階建て住宅だが、2008年に改装され、博物館としてオープンした。木彫りの窓と美しい陶器の縁取りが、プラナカンの移住生活から生まれた2000点以上の骨董品、織物、芸術品の展示を引き立たせている。

「プラナカン文化の多様性を強調したいと思っています」と、学芸員のピーター・リー氏は話す。「歴史の見方は一つではありません。様々な物語がそこにはあります。私たちのアイデンティティーは固定されてはいません。より多くの人が自分たちの体験を書き残すことによって、プラナカン文化の物語はますますはっきりと見えてくるでしょう」

ビーズで作られたプラナカンの女性用スリッパ「カスト・マネク」(PHOTOGRAPH BY ORE HUIYING)

(文 RACHEL NG、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 日本版サイト 2022年1月2日付]