
2021年の夏、ジョセフィン・ブランコ・アキヤマさんは、オンライン会議システム「Zoom(ズーム)」を使ったインタビューでこう語った。「この女性はとても有名だったのでしょう? でも、私は彼女の名前さえ知りませんでした。嘘を言えるはずがないでしょう?」
女性とは、1937年に消えた伝説の女性飛行士アメリア・イアハートのこと。アキヤマさんは、サイパンでアメリア・イアハートとよく似た外見の白人女性が日本兵に捕らえられるのを目撃したと主張していた。
エルゲン・ロング氏が主張するイアハートの最期は、まったく別だった。彼は、イアハートが海に墜落したことを証明できたと主張し、20年のインタビューでは、「彼女は最後の無線連絡の途中で海に墜落したのです」と語っていた。

1937年に太平洋上で消息を絶ったアメリア・イアハートの捜索は数十年にわたって続いているが、アキヤマさんとロング氏の証言は、捜索に非常に大きな影響を与えた。アキヤマさんの幼少時の記憶は、日本による謀略説、イアハートがスパイだったとする説、米国政府による隠蔽工作説などが広まるきっかけとなった。
これに対してロング氏は、数十年にわたる調査により、イアハートらの人的ミスが失敗の原因だったと主張した。22年1月、この2人が相次いで死去した。アキヤマさんは1月8日にカリフォルニア州フォスターシティで95歳で亡くなり、ロング氏は1月26日にネバダ州リノで94歳で亡くなった。しかし、2人の証言は生き続けている。
ミッションの失敗と永遠の謎
1937年、アメリア・イアハートは赤道上を世界一周する飛行に挑戦していた。ナビゲーターは、パンアメリカン航空の太平洋横断商業航路を開拓したフレッド・ヌーナンだった。7月2日、2人はニューギニア島のラエを飛び立ち、そこから4000キロ以上離れた、長さ3キロほどの米国領ハウランド島を目指した。しかし、彼らが島に到着することはなかった。ハラウンド島沖で待機していた米国沿岸警備隊の監視船イタスカ号が受信したイアハートの最後のメッセージの声は明らかに緊張していた。「待っていてください。6210キロサイクルで聞いてください」と彼女は言っていた。「私たちは南北線上を飛行中です」

イアハートとヌーナン、そして彼らが搭乗したロッキード・エレクトラの運命は、それ以来、さまざまな臆測を呼んでいる。提唱されている仮説は大きく3つに分類される。1つめは海に墜落して沈没したというもの、2つめは日本軍の捕虜となって獄死したというもの、3つめは無人島に不時着して死亡したというものだ。
3つめの仮説は、歴史的な航空機を回収している国際的なグループ「TIGHAR」が提唱したもので、ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラーであり、タイタニック号を発見した人物として知られるロバート・バラード氏が、最近、この仮説に沿って探索を行っている。


日本軍捕虜説の根拠となったのはアキヤマさんの証言だったが、第2次世界大戦中には米軍の兵士の間で、太平洋上のさまざまな島でイアハートの痕跡が見つかっているという噂が広まっていた。1926年生まれのアキヤマさんは、ラエから北に約2400キロ離れたサイパンで育った。サイパン島は当時、南洋委任統治領として日本が統治していた。