タイタニック号生んだ造船所 繁栄と衰退、そして現在

ナショナルジオグラフィック日本版

1912年の悲劇的な処女航海を前に、ベルファストのハーランド・アンド・ウルフの造船所でお披露目されたタイタニック号。1911年撮影。かつて多くの船を生み出したこの造船所は、北アイルランドを代表する観光名所に生まれ変わった(PHOTOGRAPH BY ARCHIVIO GBB, CONTRASTO/REDUX)

1900年代初頭、ベルファストの造船所は、世界最高の船を生み出すとして、海を越えて称賛されていた。造船所は悲劇の豪華客船タイタニック号を建造し、100年にわたって英国北アイルランド最大の都市の経済発展に貢献し、2つの世界大戦を乗り越えた。

英国と独立を目指すアイルランドの長きにわたる血みどろの戦い、アイルランドの再統一を目指すカトリックの「共和派」と北アイルランドの英国残留を希望するプロテスタントの「王党派」との30年に及ぶ「厄介事」を目撃した。そうして2003年、最後の船を完成させると、造船所はその歴史の幕を下ろした。

北アイルランドの誕生から100年が経過した今、この工業地帯は観光施設タイタニック・ベルファストや歴史的な海事関連施設を擁する英国有数の観光地に生まれ変わっている。タイタニック号が建造された船台は街を代表する野外パフォーマンス会場になり、その活気が評価され、ベルファストは2021年、ユネスコの音楽都市に選ばれた。さらに、ケネス・ブラナーの新作映画「Belfast(ベルファスト)」では、造船所が映画館の大型スクリーンを彩っている。激動の1960年代をこの地で過ごしたブラナー自身の幼少期から着想を得た映画だ。

かつて世界一の生産量を誇った造船所は、今は街の核を成す存在ではないが、この土地の歴史を包み込む場所として存在感を放っている。34万人のベルファスト市民にとって、造船所は街の遺産を照らし出すだけでなく、地域社会を結び付け、インスピレーションを与える役割も果たしている。

タイタニック号の野心

19世紀後半、ベルファストの造船所はアイルランド最大の惨事を乗り越え、街のかじ取り役を担った。1845~1851年、アイルランドは大飢饉(ききん)に見舞われた。ジャガイモの疫病に英国の残酷な政策が加わり、最終的に100万人が死亡し、200万人が国外に脱出した。

人々は職を求めてベルファストに押し寄せた。ベルファストの人口は1851~1901年に4倍まで膨れ上がり、多くの人が造船所の仕事に就いた。ベルファスト・タイタニック協会の会長スージー・ミラー氏によれば、1900年代初頭にはハーランド・アンド・ウルフが世界最大の造船会社になり、同じベルファストのライバル、ワークマン・クラークが世界第5位にランクインしていたという。

イーストベルファストの奥にそびえるハーランド・アンド・ウルフ造船所のツインタワー。1988年撮影。地元ではサムソンとゴリアテと呼ばれていた(PHOTOGRAPH BY ED KASHI, VII/REDUX)

この繁栄のさなか、ハーランド・アンド・ウルフがタイタニック号を生み出した。タイタニック号は世界最大の客船で、1912年の処女航海中、氷山に衝突、沈没した。乗員乗客合わせて2200人以上のうち約1500人が犠牲になった。1997年に公開され、史上最大級の興行収入を記録したジェームズ・キャメロン監督の映画「タイタニック」をはじめ、この物語は多くのドラマチックな改作によって広く知られている。

事故の後、原因を究明するために2つの大規模な調査が行われ、メディアは上級スタッフの責任を追及し、ベルファストの街全体が喪に服した。

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