日経ナショナル ジオグラフィック社

新聞には、獣の恐ろしさについてだけでなく、生存者の体験談も掲載された。1765年1月には、子どもたちが棒で獣の攻撃を防いだとの記事が載った。3月には、ジャンヌ・ジューブという女性が3人の子供を守るために戦ったが、うち6歳の子は傷がもとで亡くなったと報道された。最も有名なのは、「ジェヴォーダンの乙女」と呼ばれたマリー=ジャンヌ・バレで、銃剣で獣の胸を傷つけて撃退したとの話だった。

1767年6月19日にジャン・シャステルが獣を殺したとされるモン・ムシェの森の斜面。山のふもとには、シャステルの故郷であるラ・ベッセール・サン・マリーがある(ALAMY/ACI)

獣退治に挑んだ人々

獣退治を出世や名誉挽回のチャンスととらえる人もいた。地元の軍人ジャン・バティスト・デュアメルは、1764年の秋、何千人もの地元の人々に協力を求め、獣退治に挑んだ。デュアメルは、獣の背中に黒の長いしま模様があるとの報告から、これはオオカミではなく大きなネコ科動物ではないかと推測した。

「この動物はライオンを父に持つ怪物で、母が何であるかはまだ不明である」。 デュアメルは最善を尽くしたが、怪物を捕らえることはできなかった。

1765年初頭までに、ジェヴォーダンの一連の出来事は国王ルイ15世の目に留まった。国王は、棒で獣を追い払った少年たちに褒賞を与え、リーダー格の少年には無償の教育を施した。3月になると、王は獣を捕らえるために自らの猟師たちを派遣した。ノルマンディー地方の著名なオオカミハンター、ジャン・シャルル・ボームスル・ダンバルが責任者に任命されたが、彼もまた失敗に終わった。

獣に対するフランスの国民的な関心は、ルイ15世をも介入させた(DEA/ALBUM)

進展がないことにいら立ったルイ15世は、自身の護衛である歴戦の兵士、フランソワ・アントワーヌを派遣した。1765年9月21日、アントワーヌの部下たちが獣と思われる大きなオオカミを殺した。死体はパリに送られ、アントワーヌは褒賞を与えられた。

しかし、その2カ月後、襲撃は再開された。1765年12月から1767年6月までの間に30人もの死者が報告された。ジェヴォーダンは再び恐怖に襲われたが、今度は地元の人々が自分たちで対処しなければならなかった。失敗を恥じた当局はほとんど関心を示さず、新聞もすでに興味を失っていた。

1767年6月19日、地元の猟師ジャン・シャステルが大きな動物を射殺した。それ以来、襲撃は止んだ。目撃者の証言によると、殺された動物はたしかにオオカミだった。ただし、奇妙なオオカミだった。「怪物のような」頭を持ち、猟師たちがそれまで見たことのない、赤、白、灰色の毛並みをしていたという。

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諸説あり、真相は謎のまま