中学生くらいの女の子からは、こんな質問を受けました。「私は学校の勉強があって、レッスンもやって、家のこともあって、毎日が本当に大変なのですが、井上さんが学生のころはどうでしたか」。たしかに、僕もこのスタジオに通い始めた中学生のときは、学校や受験の勉強があるし、塾にも行っていたし、部活や生徒会もあって、抱えていたことが多いなかで芸事を続けていくのは大変だったな。今でもそれは同じなんだ、と知って、はっとしました。その子には、こんなふうに答えました。

井上芳雄とミュージカルクラスの生徒たち

「学生のときって、やらなきゃいけないことが多くて、時間が足りないことも多いから、全部を全力でやるとなると、息切れしちゃう。だから、そのつど優先順位をつけてやったらいいよ。特に芸事は、もちろん絶え間なくレッスンする必要はあるけど、ほかの勉強や家のことを優先する時期があっても当然だし、ときにレッスンに来られなくなってもかまわないから、芸事だけを根を詰めてやらなきゃいけないということではないと思うよ」

僕たちが毎日舞台に立っているのもそうだけど、芸事と生活は地続きだし、そうあるべきだと思うんです。芸事のために生活を犠牲にするという考え方は、僕たちの世代まではまだあったし、プロを目指す過程でそういう時期があってもいいけど、本来は生活の中に芸事が自然に存在するのが一番望ましい姿だと思います。舞台を見ることも、歌ったり踊ったり演じたりすることも、生活の一部であってほしいし、それが例えば悩み事や大変なことを解決する力やきっかけにもなるかもしれないし。

スタジオで生徒さんたちと話していると、自分が生徒だったころを思い出します。先生にちょっと言われたことにも一喜一憂していたし、現役の俳優の方の話を聞く機会はあまりなかったですが、あれば一言一言が重かったと思います。今は逆に自分が生徒さんに語りかける立場になり、責任も感じました。自分がそうだったように、舞台俳優はときに人の人生を変えてしまう可能性がある仕事だとあらためて認識したし、自分の出身スタジオに限らず、僕で役に立てるなら、新しい才能が出てくる手助けもしていきたいなと。

『ナイツ・テイル』の千秋楽にも通じることですが、地元福岡の地であらためて「初心に帰る」気持ちになりました。

『夢をかける』 井上芳雄・著
 ミュージカルを中心に様々な舞台で活躍する一方、歌手やドラマなど多岐にわたるジャンルで活動する井上芳雄のデビュー20周年記念出版。NIKKEI STYLEエンタメ!チャンネルで月2回連載中の「井上芳雄 エンタメ通信」を初めて単行本化。2017年7月から2020年11月まで約3年半のコラムを「ショー・マスト・ゴー・オン」「ミュージカル」「ストレートプレイ」「歌手」「新ジャンル」「レジェンド」というテーマ別に再構成して、書き下ろしを加えました。特に2020年は、コロナ禍で演劇界は大きな打撃を受けました。その逆境のなかでデビュー20周年イヤーを迎えた井上が、何を思い、どんな日々を送り、未来に何を残そうとしているのか。明日への希望や勇気が詰まった1冊です。
(日経BP/2970円・税込み)
井上芳雄
 1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)、『夢をかける』(日経BP)。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第106回は12月18日(土)の予定です。


夢をかける

著者 : 井上芳雄
出版 : 日経BP
価格 : 2,970 円(税込み)