日経ナショナル ジオグラフィック社

2022/2/19

壁がメキシコオオカミの移動を直接的に妨害するのであれば、通常はESAに違反することになる。しかし、米同時多発テロを機に05年に制定された「リアルID法(連邦統一基準での身分証明書の発行を各州に義務付ける法律)」は、米国土安全保障省のトップに、ESAを含む数十の法律を覆す権限を与えている。ナショジオは米税関・国境警備局(CBP)にコメントを求めたが、回答はなかった。

しかも、ニューメキシコ州の約170キロに及ぶ新しい壁は、トランプ政権下で建設された720キロ以上の壁のごく一部に過ぎない。アリゾナ州の国境には350キロ以上、カリフォルニア州には約193キロ、テキサス州には約27キロの新しい壁が延びているとトラファーゲン氏は言う。

壁の建設は中止されたものの、CBPは21年12月20日、壁の「小さな隙間を埋める」と発表した。その具体的な内容は不明だ。いくつかの環境保護団体や先住民団体が中止を求めて連邦政府を提訴しているが、そのほとんどは失敗に終わっている。

孤独な旅

ミスター・グッドバーは今、旅立ちの地に近いヒラ国有林にいる。今後、再び新しい土地を目指すのか、それとも元いた土地に近い場所で縄張りを持とうとするのかはわからない。

壁ができる前だった17年、2頭のオオカミがメキシコから米国に渡った。1頭は、ミスター・グッドバーが通ろうとして失敗したのとほぼ同じ場所を問題なく通過した。もう1頭はミスター・グッドバーの母親だった。

やはり現在は新しい壁によってふさがれている、ミツバチの多様性が世界有数のサンバーナーディーノ・バレーを通過し、アリゾナ州ダグラス付近を北上。その後、牧場主からの苦情によって同州で捕獲され、カンザス州のセジウィック・カウンティ動物園でミスター・グッドバーを産んだ。

自然保護活動家や科学者は、こうしたオオカミたちのような国境地帯の動物を窮状から救うために、さらなる対策を強く求めている。彼らは、壁の存在が群れ同士を切り離し、古くからの移動経路を遮断している点を強調する。「これはもっと注目が集まるべき出来事だと思います」とトラファーゲン氏は言う。「ほんの始まりに過ぎないのです」

ロビンソン氏はかつて、ミスター・グッドバーが通ろうとしたエリアをよく訪れていた。現在と過去に無数の動物が残した足跡の間を歩くのが好きだったのだ。

「生命に満ちあふれた、崇高な風景です」と氏は言う。しかし、その風景を切り裂く9メートルの壁が、ロビンソン氏の体験を変えてしまった。

「壁のところまで行くと、心が痛みます」

(文 DOUGLAS MAIN、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2022年1月25日付]