日経ナショナル ジオグラフィック社

もっと特殊な状況から生まれたハットもある。フィヨルドランドのけわしい南岸沿いには、満潮線からそれほど離れていない洞窟に、オーウェン・ウェストという人物が建てた5人用のハットがある。「ウェスティ」とも呼ばれた彼は、1980年代半ばに、口論の揚げ句に漁船から飛び降りて、この場所に住み着いた。言い伝えによれば、ウェスティは、荒波を泳いで海岸にたどりつき、海に流れ着いた漂流物で小屋を建てたという。

また、逃亡者の隠れ家となったハットもある。ルアヒネ森林公園にある「エリス・ハット」は、1904年に、殺人犯として起訴されたジャック・エリスが、追っ手を逃れて隠れ住んだ小屋だ。カフランギ国立公園の「アスベスト・コテージ」には、かつて、夫の虐待から逃れた女性が住んでいた。1914年、この女性は、恋人と一緒に山の隠れ家に逃げ、30年間、この小屋で暮らした。

多くのハットは、学校の校舎、灯台守の宿舎、農家などに使用されていたが、現在では公共施設に転換されている。1987年、自然保護局(DOC)が発足し、ハットのネットワークをすべて継承した際には、ニュージーランドの山々に数百のハットが広く点在していた。

「定員6人のハットに30人」の思い出

ハットに秘められたこうした昔の物語は、それぞれの建物の長所(または短所)とともに伝承となり、ニュージーランドのハイキングの魅力を高めている。

ブライアン・ドビーさん(64歳)は、DOC発足当時から、ハット・ネットワークを管理するチームで働いてきた。この34年間に、さまざまなハットに出会ったが、そのなかには、派手な紫色にオレンジ色の花が描かれたハットもあったという。1980年代、ドビーさんは、このハットでファンキーな一夜を過ごしたことがある。

「ゴートクリーク・ハット」は、定員4人の「ビーヴィー」(掘っ立て小屋)タイプで、最小限の設備しかない。筋金入りのハット・ハイキング愛好家に人気が高い(PHOTOGRAPH BY TIM CUFF, ALAMY STOCK PHOTO)

DOCのハットは、いつでも誰でも利用できるので、見知らぬ人同士でも和気あいあいとした雰囲気が生まれると、ドビーさんは感じている。ドビーさん自身も、激しい土砂降りで野外のテントが浸水した時に、小さなハットで大人数と過ごした記憶がある。「定員6人のハットに、私を含めて30人が押しかけたのです」と、ドビーさんは振り返る。「1人分のスペースは55センチメートル四方もありませんでした」。それでも、全員が陽気にその時間をやり過ごした。

それが「ハットの魅力の1つだ」と、ドビーさんは言う。粗末な掘っ立て小屋でも、そのトタン板の屋根や木の壁を越えた意味を持つことがある。思い出がはぐくまれ、素朴な楽しみを味わえるハットは、絆と内省が生まれる場となる。

アーサーズ・パス国立公園にある「ハミルトン・ハット」は定員20人。ハットの規模に関わらず、後から到着した人のためにスペースを空けて、お茶のケトルを用意するしきたりがある(PHOTOGRAPH BY GEOFF MARSHALL, ALAMY STOCK PHOTO)

ハットの宿泊日誌にしるされたハイカーの走り書きにも、物語が詰まっている。比較的利用者が少ないハット(実は最も人気がある)では書き込みも少ないので、何年も前の記録が残っている。日誌は、ノートに書かれたものばかりではない。「ジャックス・フラット・ビーヴィーの日誌は、ドアに書かれているんですよ」とエクストンさんは言う。ハイカーたちは、ドアに、自分の名前や行き先、職業などを走り書きして去っていく。

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あえて辺ぴにあるハットを目指す理由